。(沈思女子の顔を熱心に眺め、力をこめて語り出す)今音楽堂のある対岸の岩の上には、十年以前、小城のような邸宅が立っていたのでござります。(娘も窓に行きて音楽堂を眺む)その小城で若い領主は、美しくそして操《みさお》の正しい女子を妻として、八年間、そこに暮しておりました。その女子はバイオリンの名手でござりました。(間)それが私の母であるのでござります。(間)二人の間がどのように幸福であったか、その睦まじさがどんなに人々をうらやませたかは申さずとも、貴女はお察し下さるでしょう。近隣の人々は、あの小城の下の海には、つがいの鴛鴦《おしどり》がいつも浮いていると云いふらしましたくらい。――二人がよく小舟を浮かべて、小城の下の静かな海で漕ぎ廻ったからでござります。(間)母はまるで白い人魚のように見えました。で誰云うとなく人々は、母のことを人魚人魚と申しましたが、母もしまいには、自分ながら、自分を人魚だと申しておりました。(間)人魚はよく歌いました。歌った歌は、「死に行く人魚」の歌と云って、憐れっぽい歌でござりました。その歌の大体の意味はこう云うのでござります。――海の都に人魚の姫が住んでおりました。
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