死はそれから後でござりました。
女子 若様の横死……そして、そして、ああそれを早く話しておくれ……。若様の横……死……。
従者 その横死は、ああ、ああ、傷ましいとも、いじらしいとも……私始め一同が永久に忘れられぬその横死!
女子 早くそれを話しておくれ…………………………私のこの心が…………。
従者 はいはい今申し上げまするが……あ、傷《いたま》しや。……それからでござります。……よろしゅうござりますかお嬢様。……人々の拍手と感嘆との渦巻の間を、館のお殿様の手に捧げられて、月桂冠は、老人の方へ進んで行くのでござります、花束は天井や床にひるがえり、小供等は讃歌《ほめうた》を歌うその間を、月桂冠は老人の方へ進んで行くのでござります。
女子 月桂冠が……。
従者 月桂冠が今やまさに、老人の頭へ落ちようとした時に、天使の声が響き渡りました。『盗める曲に何を与う!』
女子 天使の声!
従者 若様が、そう叫ばれたのでござります。『盗める曲に何を与う』
女子 盗める曲に何を与う!
従者 立ちすくんでいた若様が満身の勇を振り起こし、天使のように、そう叫んで、壇上めがけて進みました。
女子 その時の人々は?
従者 人々は一時に声を飲み、一寸も動かず、ただ眼を見張り、立ちすくんでしまいました。
女子 ああ眼に見えるような。……………………
従者 それも瞬間でござりました。たちまち怒りの声と罵る声と、嘲笑の声とが四方八方から湧き起こりました。そして見る見る中に若様は、群衆の中に取りかこまれました。――むらむらと若様を取りかこんだ群集はバット一時に別れました。が、そのまん中に若様は、青褪め果てて仆れておりました。『公子といえども……』『名誉ある令人を罵る者は、公子といえども罰せよ!』『公子といえども』群衆は公子の体へ、これらの言葉と諸共に烈しい打撃を与えたのでござります。――この悲劇の最中に老人は月桂冠を頭に戴《いただ》いたのでござります。
女子 そして老人は。
従者 どこともなく消え失せてしまいました。暗の中を吹く風のように、雲の間の流星のように……。
女子 そのように消えてしまったのかえ、ええ、ええ。
従者 堂内に集っていた小供等が、月桂冠のため、銀の竪琴のため、名誉ある曲のため、その歌い手を取りかこみ、祝いの歌を歌おうと、老人をさがした時、老人はもう音楽堂の中には居らなかったのでござります。(間)消えたように無くなったのか、始めから此処に居なかったのか、人々は互いに審《いぶか》り合うほどに、素早く身を隠してしまったのでござります。いきり立っていた館の殿様はじめ、騎士、音楽家の人々は、一時に静まり返りまして、胸に手をあてて彳《たたず》みました。――先刻までの物凄まじき喧騒の後が、氷のような底冷たい、神秘がかったこの沈静でござります。(間)人々は四方を見廻し、また自分の影を見詰め、そして物音を聞き定めようと耳をすましました。――人々の心の中に、この時老人を怪しむ念が、稲妻のように閃めいたのでござります。……その時でござります!
女子 ええ。
従者 若様が虫のような声でお嬢様の名をお呼びなされました。
女子 あの私の名を!
従者 はい、お嬢様のお名をお呼びなされました。そして胸にさしておられました鈴蘭の花を差し出して、お嬢様へと申されました。(と従者、凋《し》おれし一枝の鈴蘭の花を女子に渡す、女子無音に受け取り、唇にあつ)
女子 若様、若様!
従者 人々は始めてこの時、仆《たお》れている若様に気づいたのでござります。
女子 若様!
従者 人々は顔色を変え叫びを上げ、一時に若様の傍へ集って、そのお顔を眺めました。噫! 若様のお顔は青褪め果てて、死んで行くべき相となっておりました。
女子 若様!
従者 『若を殺したは誰れぞ!』とお殿様のお怒りとお悲しみの叫び声……一同の騎士、音楽家の方々は、ひれ伏してしまいました。(間)すると若様は青ざめた唇を震わして、聞きとれぬ程の虫の声で、「死に行く人魚」の歌を歌いました。
女子 「死に行く人魚」の歌を!
従者 その歌の一節を歌い終わると、急にお怒りの相を顔に見せ、苦しい声で『盗める曲に何を与う!』と叫んだのでござります。
女子 盗める曲に何を与う。
従者 そして若様は、片手をあげて窓を指し、最後の息でこう申しました。『北の国の魔法使い、「死に行く人魚」の歌を歌う』
女子 若様! ええ、ええ。
従者 後はもう申し上ぐるまでもござりませぬ。堂内の騎士、音楽家は、あるいは窓口に向かって立ち、あるいは高殿に馳せ昇り、外に通ずる廊下に急ぎ、百方怪しい老人の魔法使いをさがしましたが、それらしい者の影もござりませぬ。さがしあぐんで騎士、音楽家の方々が、旧《もと》の広間へ立ち戻って来た時には、屍となられた若様をとりかこみ、小供等の
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