やがて音楽堂より憂いを含める弔鉦の音聞こゆ)
使女B (窓に馳せ行き)あの悲しげの鉦《かね》の音。
使女A (同じく窓に馳せ行き)歓びの太鼓の音は響かずに、いまわしい鉦の音が聞こえるとは、どうしたわけでござりましょう。
使女B あの鉦の音は、死んだ人を弔う音でござります。それも、思わぬ凶事に身を殺した人のために、つき鳴らされる鉦の音でござります。
(鉦の音、益々悲しげに響き、今まで点ぜられ居し赤き燈火消ゆ)
使女A お嬢様、お嬢様、ごらん遊ばせ、赤い灯が消えてしまいました。
女子 (寝台より起きて窓に馳せ行く)ほんに赤い灯が消えて、月の光ばかりが音楽堂の丸屋根を照らしている。……赤い灯が消えて、(鉦は益々悲しげに鳴る)ああ、そしてあの悲しげの弔いの鉦の音が、震え震えて鳴っている。……凶事の鉦が。
(青き燈火、以前の場所に点ぜらる)
使女B あれ青い灯が!
使女A 赤い灯の代りに点《つ》いている。
女子 ほんに青い灯が……どうしたと云うだろう、死んだ人の魂のために点ぜられる青い灯が……音楽堂に点いている。そして弔いの鉦がつき鳴らされ……。(と海を眺め)あれ、今まで見えていた水鳥の列が、どこへ行ったかもう見えぬ。
使女B (空を見上げ)そして怪しい雲も消えてしまいました。
使女A 死んだように影も形もなく消えてしまいました。(鉦なお鳴りやまず)
女子 まだ鳴っている、まだ鳴っている。
(玄関の方にて駒の蹄の音。嘶《いななき》。やがて間もなく従者いそがわしく出場)
従者 お嬢様は此処においででござりましたか、今音楽堂で大変なことが出来《しゅったい》致してござります。
女子 (従者を凝視し)今鳴っている弔いの鉦の音が、その一大事を告げているのではあるまいか!
従者 おおせの通りでござります。亡び行く魂を傷む鉦の音が、若様の横死を告げておるのでござります。
女子 えッ、若様の横死! 横死! (と寝台へ仆れる)
使女A 若様の横死!
使女B 死! 死!
従者 お驚き遊ばすは御尤《ごもっとも》でござりますが、唯今は驚いてばかりいる時ではござりませぬ。間もなく涙ぐんだ大勢の騎士、音楽家に送られ小供等の挽歌に傷まれて、若様を入れた白木の柩が、この館へ参らるるでござりましょう。柩が館へ着く前に、音楽堂で起こった一大事をお話し致そうと馳せ参じたのでござります。
女子 早く早く、そんなら、それを早く話しておくれ。ああ私の心はつなみ[#「つなみ」に傍点]のように騒ぎ、黒い怪しい魔のような影が心をまッ黒に曇らせている。……若様はどうしてお死になされたのだえ。あの優しくお情《なさけ》深かった若様が。
従者 はいはい。今朝から音楽堂は……。
女子 (もどかしげに)音楽などはどうでもよい。早く若様の御様子を……。
従者 はいはい、ではござりますが、順を追って申さねば、話はお解りなさりませぬ故、まあまあ、お気を静めて一通りお聞きなさりませ。――今朝から音楽堂の中は、セロやラッパの奏楽で耳もつぶれる程でござりました。諸国よりお集りの音楽家の方々は一つの月桂冠と一人の乙女を得ようため、二十歳の人は二十代までの、八十歳の人は八十代までの、自分の技倆の有らん限りを現わして、弾きつ、歌いつなされますので、音楽の嵐がさしもに堅固の建物を揺するかと思われるほどでござりました。(間)それが夕方になってからは追々に静まって、つい先刻の夜半となった頃は、音楽堂は静まり返り、ただ咽び泣くバイオリンの糸、銀の竪琴のそそるような響きが、聴く人の耳にゆれるばかり。(間)やがてオーケストラが始まり、それが止み、堂内は一層の静かさとなりました。さてこれからが三人残った優勝者の中、最後の優勝者を定めるのでござります。
女子 その三人の中に若様がおいでなされたのではあるまいか。
従者 三人の中でも一番望みを嘱されておられましたのが、若様でござります。(間)若様の歌う歌は、天下に若様のみ唯一人知っておらるる「死に行く人魚」の歌と申すのでござりますそうな。(間)若様が気高い姿を楽堂の中央へ現わして、壇上へお上がりになろうとお進み遊ばした時、集《つど》いあつまった諸国の騎士、音楽家の人々や祝歌《ほぎうた》を歌おうと召し寄せられた小供等の視線は、まじろぎもせずに若様の一身に注がれました。その時の若様のお姿は、窓からの月光も、堂内の燭の光も、若様お一人に集ったかと思われる程、気高く美しく見えました、胸には一輪の深山鈴蘭の花がさされ、手には御秘蔵のバイオリンを持っておられました。この貴橄欖石と紅宝玉とで象眼《ぞうがん》されたバイオリンは亡き母上の御形身であるのでござります。(間)しかし、ああ不幸にも、若様が正面の壇の上へ昇ろうと片足を段へかけられました時、その時、人々は奇異の姿に眼を奪われ、不思議の楽音に心を
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