いない。若が、若が……思った通りだ……。
従者 若様がどう致したのでござります。
領主 若があの女子を……。
従者 (高殿を見上げ)そんなら若様が、あの女子にお心があると申すのでござりますか、私ももしやとは思っておりましたが……。
領主 それに違いはない。若はあの通りの熱情家である上に、年も若く気も若い。その上、母に似て恋の美しい幻影には人一倍|憧憬《あこが》れる性質の若者だ。(沈思)それに、若も明晩の音楽の競技には出場すると云うではないか。
従者 はい、それはそれは大変な意気ごみでござります。必ず競争に打ち勝って、月桂冠を得ると申しておりまする。
領主 ふむ、必ず勝って月桂冠を得ると申しておるか。
従者 ハイ、そう申して大変な意気ごみでござります。
領主 ただ月桂冠を得れば満足じゃと申しておるか。(しっかりと)よもや、そうではあるまいがな。
従者 ハイ、月桂冠と一緒に美しい贈物《かずけもの》を得るのじゃと申しておられます。
領主 いよいよ女子を手に入れる心と見える。(煩悶の情、寝台に仆《たお》れる。従者驚きて助け起こさんとす)
従者 どう致したのでござります。――その美しい贈物とは何物でござります。
領主 (苦し気に)あの女子のことじゃ。俺が諸国の騎士、音楽家を呼び集める手段として、あの女子を勝利の贈物に致したのだ。幾百人音楽家は集り来るかは知らぬけれど、その人々の中の最後の勝利者には、月桂冠に添えてあの美しい女子の身を、贈物に致すと申しふらしたのだ。若はそれを誠と思い、それで競技に出るのだろう。
従者 それは驚き入ったことでござりますが、ほんとにお殿様は、あの女子を、勝利の贈物として、おつかわしになるのでござりますか。
領主 なんのなんの、ただそのように云いふらして、世間の音楽家を集めたばかりさ。さよう申して集めねば、かんじんの相手が来ないじゃないか。女子の心をひきつけている、憎い誘惑者が来ないじゃないか。
従者 さようなれば、ほんの手段でござりますな。
領主 その手段と知らずに、若は女子を手に入れようと競技の場所へ出ると見える。(両人、無言。最早高殿よりはバイオリンの音聞こえず、夕陽益々美しく音楽堂は光り輝く。やがて、主屋の方にて馬の嘶《いなな》き、騎士の吹く角の笛、また真鍮の喇叭《らっぱ》の音、小太鼓の音と合せて、領主の万歳を呼ぶ声、騒がしく、賑わしく響き来る。両人これに驚き立ち上がる。間もなく左の口より召し使いの童|忙《せわ》しく入り来り、領主の前にて一礼す)
童 唯今、お召し寄せの騎士、音楽家の方々が、お着きになられまして、玄関側にて、お殿様のお出ましを待ちかねておられます。
領主 (頷き)おおそうか、して、その中に紫の袍を着て桂の冠をかむり、銀の竪琴を持った若い美しい音楽家は見えなかったか。
童 いえ、そのようなお方はお見受け申しませぬ。
領主 (失望し)そんな筈はないのだが。(間)とにかく玄関まで出迎えることにしよう。(領主を先に、従者、童、退場。間もなく玄関にて再び領主万歳の声高く起こり、やがて静まる、三分間静。――正面の口より、二人の使女《つかいめ》と共に、海岸より連れられ来し女子現わる。女子は桃色の上衣、白色の袴。金髪。肩と腕とは露出す。美人にして若し。胸の上に深紅の薔薇花をさす。常にこれを気にかく)
使女A 大勢の騎士、音楽家でござりました。
使女B 白い駒に乗り、水浅黄の袍を着け、銅の楯と象牙の笛と、猫目石で象眼した一弦琴を持った二十五、六の音楽家は何んと美しい方ではござりませぬか。
使女A 銀鋲《ぎんびょう》の着いた冑を冠り、緋の袍の上へ、銀と真鍮とで造った腹巻《はらまき》をしめ、濡れ烏《がらす》よりも黒い髪の毛を右と左の肩に垂らし、それを片手でなぶりなぶり小声で歌を唄うていた二十七、八の騎士の方が、男らしくてようござりました。
使女B だがあのお方の眼は、東洋人の眼のように、瞳も睫毛もまっ黒[#「まっ黒」に傍点]で、惨酷心《むごいこころ》のように思われました。
使女A そのようにおっしゃるけれど、貴女《あなた》の好きな水浅黄の音楽家の方は、口があまり大きすぎ、それにチト肥えすぎていて、何んとなく気品に乏しく見えたではござりませぬか。
使女B 気品に乏しいかは知りませぬが、その代り愛嬌がたっぷりとござりました。
使女A 惨酷心かは知りませんが、男の大事の威光がたっぷりとござりました。
女子 (窓に寄り二人の使女の口争《くちあらそい》を聞きおりしが、軽く笑い消し)お客様のお噂は、もういい加減にして止めておくれ。どのようにいいと思ったとて、所詮お前方の所有《もの》にはなるまいに。
使女B まあお嬢様のお口の悪いこと、そんなら誰の所有になるのでござりましょう。
使女A 知れたことではござりませぬか。あの方
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