越せたのよ。私を連れて来たその人がね。私の手を引いて門の前まで来ると、門が自然と両方に開《あ》いて、二人が這入《はい》るとまたしまったのよ。開いた時と閉じた時、重い陰気な音がしてよ。その音を聞いた時、私は心の中で、ああもう二度と私はこの門を出ることが出来ないのだと思ったの。……お姉様あの門は何の門? 両方に刃《は》のついてる長い剣が門をしっかりと守っていてよ。お姉様!
女子 お前さんを連れて来た影の人が、何んとかお前さんに云わなくって。
少年 ええ、ええ、むずかしいことを云ったのよ。……肉体を守る剣の門だって。
女子 肉体を守る剣の門! その人の云う通りですよ。……第二の門もらくに越せたの?
少年 泉の水で守られた第二の門も、第一の門と同じように、影のような人に手を引かれて、らくらくと越したのよ。お姉様あの門は?
女子 あの門はね。情の泉で守られた門。
少年 影のような人もそう云ったのよ。
女子 ヨハナーンや! 第三の門は火の門でしょうね。
少年 赤い火の門よ……。
女子 そして熱い!
少年 ええ、ええ、熱い火の門よ!
女子 それもらくに越したのかい。
少年 自然《ひとりで》に門が開《あ》いて、二人はらくらくとこせたのよ。お姉様あの門は?
女子 影の人は何んと云うたの。
少年 熱い魂の門ですって。
女子 その三つの門を越して、この青白いお室《へや》へ来たんですね。……可愛そうなヨハナーンや! ……何も知らぬヨハナーンや! (間――涙と共に)ああ、ああ、可愛そうなヨハナーンや!
(二人無音。――墓の如き静寂。時々塔を吹く風の音と、水門に流れ入る水の音。……ヨハナーン、また痙攣的に泣き出す)
少年 (泣きながら)お姉様! 此処《ここ》が躍ってよ、大変躍ってよ、お母様やお姉様とお別れした日のように躍ってよ。……お姉様、お姉様! 大変躍ってよ。(胸を抑えて姉を凝視す。泣く)
女子 (最早詮方なきを知りしものの如く)ヨハナーン! (沈痛に)ヨハナーン!
少年 お姉様! 私は、(と四方を見て)私は。……(四方を見ておびえる。――姉も四方を見る。――青白き光線室内に充《み》つ)
少年 お姉様、青い光がだんだん濃くなって来てよ。……私の体がだんだん弱くなって来てよ。(塔を吹く風の音)お姉様! あの音?
女子 風の音です、何んでもない風の音です。……ヨハナーンや! さあ姉様の所へおいで、さあ昔のように緊《しっ》かりと抱っこしてあげましょう。……さあおいで。
少年 (後退《あとずさ》りして)いいえ、いいえ。
女子 恐いことはありませんよ、……さあ。(と手を差し出す)
少年 (それをくぐり)お姉様!
女子 ヨハナーンよ! 姉様を恋しがって来たのじゃありませんか、……さあ、その恋しい姉様が昔のように可愛がって抱いてやるんですよ。さあおいで、……お前さんをよく眠らせた子守歌を歌ってあげましょうね。
少年 (姉の傍へそっと行き、その手に抱かるる)お姉様! (と接吻す)お姉様!
女子 (ヨハナーンを数々《しばしば》接吻し)昔のように、さあしっかりと抱《だか》っておいで、もっと緊《しっ》かりと緊かりと。(ヨハナーンの顔を熟視し)姉様をようくようくごらんなさいよ。忘れぬように、忘れぬように。……ね、いつまでも忘れぬように。
少年 (姉の顔を見上げ)青い!
女子 ええ!
少年 青い!
女子 何が?
少年 青いの、お姉様のお顔が……そして冷たい! そして大変悲しそうなお眼だこと。お姉様! ……そしてね、お姉様のお手は骨のように堅い。骨のように。
女子 いいえ、いいえ、ヨハナーンや! 私は昔のようにやさしく抱いているんですよ。……ね、やさしく。……ほら。
少年 いいえ、骨のように堅いのよ。……そして私の、私の、(と胸を抑え)また私の胸が大変躍ってよ。……あの日のように。――お姉様! ほら、ほら、ね、こんなに。
女子 (ヨハナーンの胸を抑え)まあー。
少年 お姉様! お姉様! お姉様! (と痙攣的に泣く)
女子 ええ、ええ、もう。(と塔をすかし見て、絶望的に嘆息す)
(ヨハナーンの泣き声のみ悲哀をこめて場内に響く。――その声、次第次第に細り行く、笛の音の切れんとするが如し。……やや長き沈黙)
女子 (卒然として立ち上がり、上手の扉に向かい耳を澄ます)足音! 足音!(とヨハナーンを床の上に立たす。ヨハナーンはにわかに泣き止め、恐怖に襲われしが如く身をふるわす。大人の如く真面目なる表情)
女子 ヨハナーンや! あの音が聞こえますか。あの音が? おお おお!
少年 いいえ、何も、お姉様何も聞こえは致しませぬ。……ああ、いいえ! お姉様! どんな音? 風の音?
女子 (凝然と扉を見つめ)いいえ、足音! 大勢の足音!
少年 いいえ、いいえ。お姉様!
女子 そうだ。たしかに。(と
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