綾を織る人の一生、
五色《いついろ》の色のさだめは
苧環《おだまき》の繰るにまかせて、
桧の梭《ひ》の飛び交うひまに、
綾を織る罪や誉《ほまれ》や。
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(窓より塔をすかし見て)日は未《ま》だ暮れぬそうな。塔の頂きの影が消えぬ。(また歌う)

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五色《いついろ》の色の機織《はたお》り、
一日を十年《ととせ》に数え
幾日|経《へ》にけん。
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(機を織る手をとめて)ああ私は此処に幾年居るのだろう。月も日も春も夏も、ただ窓ごしに見るばかり、それにあの黒い塔が、いつも窓の外に立っていて、外を見る私の眼をさえぎって[#「さえぎって」に傍点]いる、鳥が飛んでも雲が歩いても、風に小歌が響いて来ても、木の葉に時雨が降りかかっても、蝶が散る花に囁いても、私はただ窓ごしに見るばかり。それもあの黒い塔が、私の見る眼をさえぎるので、思うがままに見ることが出来ぬ。(間)あの塔の物凄さはどうだろう。唯《ただ》その姿を見ただけでも、血汐が凍ってしまいそうだ。――夜でも昼でもあの塔には湿った影がついている。そのしめった影が昼は塔の頂きにあるが、夜は灰色の壁を伝《つたわ》って、水門の方へ下りて来る。その様子が恰度《ちょうど》、墓場を巡る燐の火に人の魂が迷うようだ。ああ、ああ、あの塔は墓場かも知れぬ。(沈思)墓場かも知れぬ。けれども私は、まだ一度もあの中へは這入《はい》って見ぬ故、塔の中には何が居るやら、どんな秘密が籠っているやら、どんな悲しみが住んでいるやら、どんな恐怖がひそんでいるやら、私には解らない。(間)わからない方がいいのかも知れぬ。解った時は私の運命の沈む時かも知れぬ。(間)あの塔の中には私のお父様もお母様も、そして代々の御先祖様も、みんなおいでなさるのだそうな。そしてその人達が私の来るのを待っているそうな。塔の面にちらつく人影は、その人達の影だそうな。(機に手をかけ)そしてこの綾糸の切れた時、私も塔へ行かねばならぬ。それが私の身にかかっている命の預言、それが私のこの世の運命《さだめ》。(二三度機を織り)私はどうしてもあの塔へ行く気にはなれぬ。晴々《はればれ》しい光も、なつかしい色も、浮き立つような物の音も、何一つ楽の無い、あの灰色の墓場の塔へ、私はどうしても行く気にはなれぬ。あの塔の中にあるものは、もの恐ろしい沈黙と、総てのものを支配する大きい大きい暗黒ばかり、その沈黙と暗黒とへ、私はこの身を何んで投げよう。私はいつまでも此処にこうして機を織っていよう。(と機を織りつつ歌う)

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若き世の恋の色彩《いろあや》、
日の如き赤き喜《よろこび》、
ああそれもまたたく消えて、
墓を巡る夕月の色、
悲しみの青き綾糸、
人生《ひとのよ》の縦《たて》となりけり。
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(塔を眺め)そろそろ日が暮れると見えて、塔の上の湿った影が、だんだん下へ下《お》りて来る。あの影の下りきらぬ中に、私は機を織らねばならぬ。(無音にて機を織る。――杳《はるか》の屋外にて、堅き城門の開く音す。女子は機の手を止《と》めて耳を澄ます。その音尚かすかに響き来る)
女子 剣でかこまれた第一の城門が、たやすく開《ひら》く筈はないが、(と考え)今の音はどうやらその城門が開いた音のように思われる。(音なお残りて聞こゆ)あれあれまだ鳴っている。鋼鉄の琴のゆれびきのように、あれあれまだ鳴っている。(音次第に幽《かすか》になりて遂に止《や》む)止んだ! (と淋しく笑い)私の耳の空聞《あだきき》だろう、剱で守られたあの城門が、何んで容易《たやす》く開くものぞ、あの音は空の真ん中で鳴りはためく、雷の音であったのだろう。(やや長き沈黙。音の有無を聞き澄ます。――塔を吹く風の音)塔を吹く風の音が、挽歌のように鳴っている。(水門へ流れ入る水の音)そして水門へ流れ入る水の音が、屍をのせた柩の舟を運び行くように聞こえている……。ただそれだけだ。……何も聞こえない。……城門が開《あ》いたと思うたのは、ほんの私の空耳だろう。(間)空耳で幸いな。あれが空耳でなかったら……。ほんに城門が開いたのなら、(恐ろしげに)私の運命が……運命の糸が切れるだろう。それが私の身にふりかかっている、命の預言! この世の運命《さだめ》……そんなことがあるものか、私は長く長く此処に居て、五色の糸を織る身じゃもの。今の音は、雲の間で空しく鳴る、意味のない雷の音よ! (されど不安そうに耳を澄ます。静。女子淋しく笑いて機に手をかけ、五色の糸を見て驚く)――糸が切れた! (青と赤との糸切れてあり)青と赤との糸が切れた! (と機より立ち上がらんとして再び座し、手にて顔を蔽《おお》う。忍び泣き。三分間。やがて女子顔を上げて、残りの三色の糸を
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