が、そこの浜辺に待っている。行こう行こう北の浜辺へ。
女子 (再びFなる魔法使いの胸にすがり)行きましょう北の浜辺へ、ああ、ああ、私はほんとにお前の者よ! ああ、ああ、私はお前を長らく待っていた。
Fなる魔法使い (女子を介《かか》え)行こう北の浜辺の、罪の深い歓楽へ。
女子 行きましょう北の浜辺へ、私はお前を待っていた。
Fなる魔法使い 女よ!
女子 Fなる魔法使い! (既に両人接吻せんとする時、小供等の挽歌、手近の罌粟畑に聞こゆ。二人の驚きて同時に顔を上げる。――領主及び従者を真っ先に、白木の柩を守りて騎士、音楽家及び小供等数十人。使女は燭を携え正面の口より場内に入り来る、Fなる魔法使いと女子とは相抱きしまま場の右方に立つ。葬式の行列は左にまがり、室を一周し、やがて白木の柩を中央に置く、人々は四方に並ぶ。人々の位置定まりし時、小供等は柩を巡りて挽歌を歌う。一節終わる毎に騎士、音楽隊は、一時に各自の楽器を鳴らす。――三回目の歌のなかばに領主始めてFなる魔法使いに注目し、驚き怒る)
領主 (声高に)歌を止めろ!
(一同歌を止める)
領主 門を守れ!
(人々は出口入口に立つ)
領主 Fなる魔法使いがそこにいる!
(一同Fなる魔法使いに注目す)
領主 曲を盗んだ悪魔は嬢をも盗んで行こうとする。見ろ! 彼は嬢をかかえている。
(一同楽器を棄てて剣を抜く。光茫場にあふる)
Fなる魔法使い (冷やかに鋭く)俺の頭を見ろ! (月桂冠を指し)月桂冠を得たものは、女子をも共に得べきものだ! 俺の頭には月桂冠が輝いている。(女子を見)女子は俺のものだ!
領主 月桂冠は、死んだ若《わか》が戴くべきものだ! 汝の歌った一曲は、若が歌うべき「死に行く人魚」の歌ではないか。(鋭く)盗める曲に何を与う!
騎士・音楽家 (声を揃え)盗める曲に何を与う!
小供一同 (声を揃え)盗める曲に何を与う!
領主 (柩の蓋《ふた》をはずし、死せる公子の姿を現わす、屍は白き花を以て飾られたり)この屍に罪を謝し、疾《と》く月桂冠を取りはずせ!
Fなる魔法使い (悠然と月桂冠をはずし)最大の悪、最後の手段! それが盗んだ曲である。(月桂冠を高くかざし)天にありては月、地に咲きては花、桂の冠がわが手を離れ、(女子を見て)一人の女の手に渡る。(と女子に冠を渡し)女よ、それを誰に与える。それを得たものがお前の良人だ! (領主を見て)お前を救ったあの老人へか、(柩の中の公子を指し)鈴蘭の花の送り主か、(自分を指し)紫の袍を着た、銀の竪琴を持った、Fなる魔法使いのこの俺か!
領主 (熱心に)我に与えよ!
従者 お殿様へ差し上げなされませ。
騎士・音楽家 (声を揃え)公子に与えよ、最後の勝利者の公子に与えよ!
小供一同 (声を揃え)公子様へ、公子様へ!
Fなる魔法使い 我に与えよ、血薔薇の送り主なる我に与えよ。
(女子は月桂冠を胸に抱きしまま失神せるものの如く彳《たたず》む。室内静。女子引きつけらるる如く公子の柩に近づく。時に、何処よりともなく哀怨の調べにて「死に行く人魚」の歌聞こゆ)
女子 (突然悲しき声にて)人魚、人魚、死に行く人魚! (と柩の上へ身を蔽い)若様! (燈火一時に消え、月光青く窓より入る、女子悲しげに叫ぶ)
女子 若様、若様! 私も貴郎と一緒に参ります、遠い遠い海底へ……。
(声細り行くと共に、場中再び明るくなる。見れば、女子は柩の中の公子を抱き起こし、かかえしままにて気死す。公子の頭には月桂冠あり。領主は気死せる女子を支えて片膝をつき。騎士、音楽家及び小供と使女の大勢は、それぞれの形にて、十字を切りて葬礼の姿を現わす。――Fなる魔法使いは正面の口より出でんとし、斜に姿を観客に見せる。従者は床に伏して泣く。鉦の音。哀しき歌)
Fなる魔法使い 誘惑より勝るものが此処にある。
(銀の竪琴をかき鳴らし)この音の響く方へ俺は行こう、そこで再び女を試みよう。(間)けれども此処へはもう来まい。此処には俺より強いものがある。
(再び銀の竪琴をかき鳴らす。その音場に充《み》つ。音と共にFなる魔法使い退場)
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その日のために


場所 一室
人物 女子
   その弟(ヨハナーン)
   巨人
   影の人(多数)

          一場

一室。四方灰色を以て塗る。天井より青白き光線さし下る。左右に口ありて堅き鉄の扉を以て閉ざす。室の正面中央に大なる窓。窓には鉄の格子あり、黒き掛け布ありて半ばしぼられたり。窓を通して陰鬱なる高塔見ゆ。塔の下は水門にして濁水そこに流れ入る。窓に対して一台の織機《はた》あり。一人の女子その機を織る。綾糸は、青、赤、黄、白、黒の五色とす。糸は天井より垂れ下る。
夕暮。
女子 (機を織りつつ歌う)

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美しき色ある糸の
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