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わだつみなれば燐の火の
屍を守ることもなく、
珊瑚の陰や渦巻の
泡の乱れの片陰に……
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(声も楽器も、不意に途絶ゆ。女子は高殿の柱に取りつき)
女子 若様! そんな悲しい歌はお止《や》め遊ばしな。あの、私は此処におりまする。
公子 (身を階下にかしげ)誰れだ!
女子 私でござります。
公子 誰れだ!
女子 私よ……若様!
公子 (青き燭の火を差し出す、女子はその火をあおぐ)
女子 若様!
公子 (すかし見て)おお貴女は! ……どうして今頃そんなところに……おいでなされます。
女子 あの恐ろしい老人が、私を連れ出したのでござります。銀の竪琴で歌を歌い……。
公子 (せわしく)それが誘惑です。
女子 若様。
公子 その老人とは、紫の袍を着て、桂の冠をかむり、銀の竪琴を持った、騎士姿の音楽家ではござりませぬか。
女子 いいえ、白い衣を着た、白髪の老人でござります。桂の冠はかむっておりませぬ。
公子 その老人はどこにいるのです。
女子 (振り返り)あれ、あすこに立っておりまする、月の光をあびて立っておりまする。
公子 (すかし見て)ああ、私にもよく見えます。(驚き)あの男だ、あの男だ、――ああ悪魔!
女子 老人でござります。白髪の老人でござります。
公子 紫の袍を着て、銀の竪琴を持っている。若い美しい音楽家だ! (一寸躊躇し)ああそれだのに、桂の冠をかむっていない。
女子 いえいえ白い衣を着た老人でござります。
公子 あの男だ、母を殺したあの男だ。
女子 いえいえ老人でござります。(と振り返り)あれ、もう、静かに歩いて行きまする。
公子 勝ち誇った騎士のように、ゆっくりと歩いて行く。――紫の袍が煙のように、銀の竪琴が星のように……。(Fなる魔法使いは、無音にて花陰へ隠れ去る。奥にて大勢の人声。やがて真先に領主と従者、後につづいて騎士、音楽家、左右より現われて女子の方を見る)

(幕――)
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          第三場


翌日。一場と同じ領主の館の一室、窓より海と音楽堂と見ゆ。室内には窓に近くただ一台の寝台あり。夜。先夜の如く月明らかなり。
女子は寝台に腰をかけ体を斜にして音楽堂を眺む。使女ABの二人はその左右に立ち、同じく音楽堂を眺む。静。――館内の人々は皆、音楽堂に出で行ける後)[#「行ける後)」はママ]
使
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