―光景憐れに冷ややかなり。
小舟はゆるゆると流れ下り窓の下にて暫《しばし》漂う)
少年 (窓の格子より両手を差し出し)お姉様がいる、お姉様がいる、お姉様! お姉様! あれ舟へなど乗って何処《どこ》へ行くの食え お姉様は私と一緒に、いつまでも此処にいると云ったじゃないの。それだのに舟へ乗って、どこかへ行ってしまうなんて! 行ってはいけない、行ってはいけない! ……何故舟へなんてお乗りなされたの? ええ、ええ、そんな恐い厭なお舟へ! ……あっ、そしてお姉様の着物は白いのね! そして白い百合の花が! お姉様、お姉様! なぜそんな白無垢のような着物をお着なされたの……いや、いや、いや! ……あれあれ舟は流れるんだもの、……早く、早く、早く止《と》めてよ。お姉様!(舟は水門の方にゆるゆると流れ行く)お姉様! 舟は何者《なにか》に引っぱられて行くように水門の方へ流れるんですよ。何故|止《と》めないの、何故止めないの! ええ、ええ、お姉様ってばなぜ止めないの!
女子 (ヨハナーンの顔を情深く打ち眺めしまま)ヨハナーンや! (沈痛に)ヨハナーンや!
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若き世の恋の色彩《いろあや》、
日の如き赤き喜《よろこび》
ああそれもまたたく消えて、
悲しみの青き綾糸
人の世の縦《たて》となりけり。
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少年 (塔を眺め)塔! 塔! 物凄い塔! 先刻《さっき》お姉様が、塔も何もないと云ったのはみんな嘘よ! 嘘よ! あの物凄い厭な塔が……お姉様! ええ、ええ、あの塔の中へ! お姉様が! ……お姉様よう! 行ってはいけない、行ってはいけない! 早く! 早く舟を漕ぎ返しておいでよう! 何故そんなにあお向いて臥《ふし》てばかりいらっしゃるの! 立って立って! お姉様! (と舟を止めんと身をあせり、格子をゆする)私が行く、私が行く! 私が行って舟を漕ぎ返してやる! ……待って、待って! (格子をたたき揺《ゆ》すれど格子は動かず!)
女子 ヨハナーン。
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白糸の清ければ
乙女心よ、
やがて染む緋や紫や
或はまた罪の恐れの
暗《やみ》に似てかぐろき色の
罪の黒糸
罪の黒糸
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ヨハナーンよ! ヨハナーンよ……お歌をよーっく覚えるんですよ、よーっく覚えるんですよ!
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さまざまの色ある糸の
綾を
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