こりしもまたこれあるがためにほかならず。
然りといえども立憲政体は当時聖詔すでにその設立を宣言したり。人民はこれを君主の徳義に帰しこれを君主の恩恵となししかして怪しまず。かの帝政論派なるものは実にこの君徳君恩を称賛してもって世道人心を誘起せんと試みたり。自由論派はこれに反してもっぱら自由の理、平等の理を唱道し、むしろ史蹟および現状を攻撃してただその信ずるところの道理を講じたるは、もって旧慣を攪破《かくは》するに足るもいまだ人心を誘掖するに充分ならざりき、要するに自由論派はこの点において一の純理的論派なり。すでに純理的論派なればしたがってその希望もまた理想界に向かいてはなはだ広し、彼他の論派とともに代議政体を希望せり、しかしてこの政体について希望するところは他諸論派よりも一層理想界に入ること深きは自然なりというべし。自由論派において代議政体と言えるは今日欧州諸国においても多く見るべからざる理想的政体なりき。彼自由平等の原則をでき得るだけこれに実行せんことを望みたり。彼貧富智愚によりて権利に差なきを説きもって普通選挙を主張せり、彼また貴賤老少によりて意向に別あるを排しもって一局議院を主張せり、彼自由の文字を尊重して干渉保護の語を忌むことは他の論派よりもはなはだ深し、ゆえに実際の利害いかんを問わずいやしくも干渉政略または保護貿易の類をも猶予なく排したるがごとし。
さらばかの言論自由のごとき、集会自由のごとき、信仰自由のごとき、ならびに自由教育のごとき、いやしくも文字に縁故ある事柄は彼これを主張すること他の論派に比して一層広濶にしてむしろ抽象自由を主張したり。彼ただに自由平等をもって旨義となしたるのみならず、主権在民の旨義もまたその抱懐するところに係る、その結果としてはかの改進論派とともに国約憲法を主張したり、この点は実に当時にありてもっとも大なる問題にして帝政論派すなわち当時のいわゆる保守論派といちじるしく反対せしところなり。然りといえどもこの論派は帝政論派が当時共和主義なりとまでに難じたるごとくにはあらず、彼自由主義を主張することかくまで広漠なりしも、あえてにわかに君主政を廃して共和政をなすの主義にはあらざりき、むしろその自由主義をもって君主政を維持せんと欲するのみ。
ただ自由論派の立言法は世人をして惑わしめたるものなきにあらず、板垣氏『尊王論』の大意に以為らく、「立憲政体を立つるの詔は吾人に自由を与え吾人をして自由の民たらしむるの叡慮に出ず、ゆえに自由を主張するは聖詔を奉ずる者なり、これに反するものは皇家を率いて危難の深淵に臨ましむるものなり」と。この尊王旨義ははなはだ明白なり、然りといえども当時論者は政府部内の人にあらずして一個の人民なり、しかしその述ぶるところは時の政府に忠告するにあらずして同胞人民に勧説するにあり、しからばこの立論は少しく奇なりと言うべし。試みにその立論を換言すれば「皇家すでに自由政体を人民に約したり、もしこの約を履まざればやむを得ず吾人人民は皇家を危くせざるべからず」と言うに均しからん、思うに論者の意豈にかくのごときものならんや、ただその地位を忘れてその立言を誤りたるのみ、しかれども当時帝政論派より痛く非難を受けたるはまったくかかる点にありしがごとし。
この論派は自由放任を主張することはなはだ切なりき。しかれどもその政府の職務に関する主説はかの改進党と大いに異なるものあり、改進論派は政府の職務をして社会の秩序安寧を保つに止まらしめんことを主張せり、しかして自由論派はいわく、
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政府を立つるはもと何等の精神をもってこれを立つるものなるか、要するに強が弱を虐するを防ぐがためのほかあらず、しかるに今やかえって強が弱を虐するの精神をもって富かつ智なる者をして貧かつ愚なるものを圧せしむるの政をなすは豈にその大理に悖《もと》るのはなはだしきものにはあらずや〔大坂|戎座《えびすざ》板垣氏演説筆記〕。
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これによりてこれを見れば、自由論派は自由論派と言うよりはむしろ一の平民論《デモクラシー》派と言うべし、政府は秩序安寧を保つに止まらず、なお貧富智愚の間に干渉してその凌轢《りょうれき》を防がざるべからず。これ実に自由論派の本領にして改進論派と相容れざるの点ならんか。自由論派と改進論派とはともに欧州のリベラールより来たれり、しかして甲は平等を主として乙は自由を主とす、甲は現時の階級を排して平民主義に傾き、乙は在来の秩序を重んじて貴族主義に傾く、もって両論派の差違を見るに足り、またもって自由論派の本色を知るに足るべし。
第五 改進論派
改進論派は真に泰西のリベラール論派を模擬するものなり、泰西においてリベラール論派と称する者は中等の生活を権利の根源とし個人自由を政治の標準となす。わが国の改進論派は実にこれに似たるものあり。それ改進論派はリベラール論派なり、しかして前に述べたる自由論派は泰西にいわゆるデモクラシック論派に近し、デモクラシック派の理想は人類平等にあり、しかして衆庶社会の権利を張り公同自由の政治を挙げんことをその主眼となす。改進論派のもって自由論派と異なるところは実にリベラール派とデモクラシック派との差違に均しからん。これ二論派の明白なる区画にしてかの帝政論派との関係もまた実にここにあり。
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〔備考〕個人自由とは近来わが政論社会に行なわるる文字なり。今改進論派を吟味するに当たり端なくこの文字を提出するがゆえに、ここにその大要を説明せん。個人的自由とは一個人としてその固有能力を発達するの自由を指称す。たとえば富豪はその財産の力によりて自由に幸栄を増し、学者はその知識の力によりて自由に地位を高め、貧かつ愚なるものもまた国家の干渉を頼まずしてその固有の能力に応ずる発達をなすがごとき、これを個人的自由すなわちリベルテー・インジヴィジュエルとぞ名づく。改進論派はこれを政治の標準となすがゆえに、したがって貴族の成立を是認しまた賤民の存在を常視す。すなわち中等社会〔ミッテルスタンド〕はこれを平均の度としてその標準となすところに係る、しかしてこの三種族の間に法律上の階級を固くせざるは、実に優勝劣敗の天則に任じて個人的発達を自由にするゆえんなり。個人的自由に反対して世人がつねに称道する国家的自由なるものあり、吾輩は国家的自由の何物たるを知るあたわず、しかれども泰西においては個人的自由に対するに公同的自由すなわち平等一般に享受するの自由というをもってせり。邦人の称する国家的自由は多分これを指称するならんか、公同的自由もしくは国家的自由とは、今の板垣伯が八、九年前に明語せしごとく、「自己の自由を枉《ま》げて公同の自由を伸ばす」との謂《いい》にして、貧富智愚の差等にかかわらず人民みな平等に自由を享有することを指す。すなわち板垣伯のいわゆる「富かつ智なる者が貧かつ愚なる者を圧するの政」は、個人的自由において尋常なるも、公同的自由、国家的自由には反するの政なりとす。以上は二者の区別なるも読者はこれをかの世俗にいわゆる個人主義および国家主義の関係と混じるなかれ、この対語は国家と個人との関係を意味するに似たり。すなわち干渉主義と自治主義との異称と知るべし。なお通俗にこれを言えば政府と人民との関係にして、個人主義とはすなわち人民自治の領分を拡めんとの謂なるべし。同じく自治主義なり、しかして一は個人的自由に基づきて制限選挙および二局議院を主張し、一は公同的自由に基づきて普通選挙および一局議院を主張す、これ改進論派と自由論派との差違なり。この二論派とかの帝政論派とはともに立憲政体すなわち自由制度を主張して異同なかりき、しかして二論派は個人主義すなわち自治主義に傾きて帝政論派は国家主義すなわち干渉主義に傾く、その前者との差別はこれにて明白なるべし。次に自由にはまた人文自由すなわち個人が社会に対する自由と政治自由すなわち個人が国家に対する自由との別あり。政治自由は憲法または法律によりて生じ、人文自由は行政によりて定まる、しかしてその前者との関係を言えば人文自由は個人主義と国家主義とによりて消長し、政治自由とは個人的自由と公同的自由すなわち俗に言う国家的自由とによりて伸縮すべきものなり。例を挙げてこれを言えば法律をもって制限選挙を定め参政の自由〔政治自由の一種〕を制限するは個人能力の差別を認むるもの、すなわち個人的自由の勝利にして公同的自由の敗亡なり、すなわち行政において工業の賃銀を定め職人の自由〔人文自由の一種〕を保護するは国家主義すなわち干渉主義の勝利にして個人主義すなわち自由主義の敗亡なり。これによりてこれを見れば個人的自由とは差別上の自由にして国家的自由とは平等上の自由、別言すれば個人的自由の極度なり、また国家主義とは政府の干渉を是認する主義にして個人主義とはこれに反し人民の自治を主張する主義なり、世人は今日なおいまだこれらの区別を明らかにせざるがごとし、また人文自由とは社交上の自由にして政治自由とは国憲上の自由なり、しかしてかの自由論派はこの二者を混同したるがごとし。
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改進論派は貧富智愚の差別を深く考量して制限選挙および二局議院を主張せり。この点においては個人的自由の味方にして帝政論派と相近く自由論派とははなはだ遠し。改進論派は政府の干渉を排斥して人民の自治を主張しすなわち個人主義の味方なり。この点においては自由論派とはなはだ近くして帝政論派とはすこぶる遠し。改進論派は貧富強弱の懸隔を放任して優勝劣敗を常視し、政治自由の制限をば是認するも人文自由に係る干渉は痛くこれを排斥するがごとし、この点においては自由帝政の二論と相離るるや遠しと言うべし。改進論派は自由論派とともに主権在民の説を是認して帝政論派の主権在君論に反対したり。しかれどもその説は帝室および国会を一団となしてこれを主権所在の点となし、英国の例を引きて幾分か取捨を加えたるは自由論派と異同あり。改進論派は帝政論派とともに秩序と進歩とを重んじて自由論派の急激的変革に反対したり、しかれども内治の改良を主として国権の拡張を後にしたるは帝政論派と大いに異同あり。
改進論派は第一期の帝政論派たる国富論派より来たることはすでに前章に述べたるがごとし。さればかの国権論派の一後胤たる自由論派と相隔絶することは自然なりと言うべきか。この二論派はともに欧米の文物を取りて日本の改良進歩を図るの論派なり、しかれども自由論派はその祖先たる論派と同じく主として政治上の進歩を希望し、むしろ理想上の希望を国家の体制に抱く、しかして改進論派は国富上の進歩を期し、社会経済の改良を先にし、その方法として政体の改良を唱え政府の干渉を排斥したるがごとし。この論派は英国のリベラール派に擬したるものにして内治外政いずれも平和的進歩を主眼となす、ゆえに内治については急激改革の害を論じて秩序的進歩を主張し、外政については国権の拡張を後にして通商的交際を要務としたり、けだし破壊と戦乱とは経済世界においてもっとも悪事とするところなればなり。
自由論派はその論拠をつねに義理の上に置き、ただ人類を見て種族《クラツス》を見ず。しかして改進論派はもっぱら便益をもってその標準となし、社会に現存する自然の種族をばみなこれを正当視したり、この点においては改進論派はかの自由論派の理想主義に反対して一の現実論派なり。自由論派はただに日本人民の自由を希望するに止まらず、この自由のためにはまず国権を拡張し、延《ひ》きて東洋全体に自由主義を及ぼし、ついに世界各国に政法を立てんと希望したるは板垣氏の『無上政法論』に明らかなり、しかして改進論派は人智の劣等国力の微弱を自信し、なるべく国際関係を避けもって内治の進歩を主張し国権の消長をば後にしたり、この点においては該論派は海外に対して一種の保守論派なりき、以上はその自由論派と著しく相違せる大要にして第四期の政論界に至り大いに衝突を起こせしゆえんなりと思わる。然りといえども自由論派が権利
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