かに泰西旧学者の説を借り来たりて陳腐の政論を綴造《ていぞう》し、自ら称して自由論派または進歩論派となすものあり。かくのごときものはこの保守論派に対してはなはだ慚色なきあたわざるべし。ただ泰西事物の名をもって斬新の標章となし、東洋の事物を挙げて取捨なく排棄するの時代においては、これらの無識者流もまた時好の厚遇するところとなるのみ、滔々たる社会豈に他の理由あらんや。
 吾輩は政論考を草して保守中正論派に至り、編を重ぬることすでに十七、最後において吾輩の持説たる国民論派を略叙せんと欲す。吾輩はここに至るまで実にまったく批評家たるの地位に立てり。しかれども国民論派を吟味するに当たりては理において自らこれが批評家たるあたわず、むしろその説明者または代表者となりて順当にこれを述べざるを得ず。保守論派と国民論派とは欧化時代においてともに現出したりしといえども、元来この二派はもと同根のものにあらず、その欧化主義に反対するや、保守論派は自主自由の理をもってその論拠となし、しかして国民論派は国民の天賦任務をもってその本となす。一は主として国の権理を全うせんがために起こり、他の一は権理を重んぜざるにあらざる
前へ 次へ
全104ページ中87ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
陸 羯南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング