ける民権論派を視るがごとくせり。しかしてその欧化主義に反対せしにもかかわらず世人いまだこの論派を目するに保守論をもってするには至らざりき。すでにして得庵先生は堀江、原田の諸議官とともに一派を立て自ら保守中正論派と称し、『保守新論』をもって機関となし、大いにその説を世間に弘む、ここにおいてか保守論派は明らかに世の認むるところとなり、政論社会の一方に割拠して少なからざるの勢力を有す。
 保守論派ははたして保守の実を備うるか、泰西にいわゆる保守なるものは自由平等の原則を軽んずること、これその特性の一なりとす、わが邦保守論派ははたしてその実あるか、得庵先生の著『王法論』にいわく、
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 均しくこれ人なり、豈に君民の別尊卑の等ありてもってその人を異にせんや、そのこれを異にするゆえんのものは他なし、その徳を立つるがためのみ、その道を修むるがためのみ、徳立たざれば君君にあらず、民民にあらず、道修まらざれば父父にあらず、子子にあらず云々。
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 先生すでに天地平等万物一体はじめより高卑物我の分あらざることをもって理説の根本となす。平等を本として差別を末とするこ
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