みなかの帝政論派は政府賛助派なりと。あるいは然らん、しかれども吾輩はこの篇においてその裏面を探るものにあらず、もし裏面を穿ちしならば当時の自由論派または改進論派は政府攻撃派なるやも知るべからざればなり。しからば当時政論派の変化は表面よりして奇観を呈したりというもとより可なり。しかれども当時の政府は主としてドイツ風を模擬せり、改進論派のこれに反対せしはその英国風ならざるをもってなるか、自由論派のこれに反対せしはその仏国風ならざるをもってなるか、少なくも、王権の強大が英国風に反しまたは貴族の爵号が仏国米国の風に反すとの点をもって、二論派はドイツ風なる政府に反対したるか、はたしてしからばこれ国風の争いなり、いわゆる欧化主義においてはみな同一なりと言うべし。
この紛々たる時に至りて一の新論派は出でたり、すなわち国民論派または国粋論派または日本論派と称すべきものこれなり、この論派は実に当時の流勢に逆らい、泰西風の模倣をもって実益および学理に反することとなし、深く国民の特性を弁護したるものなり。この新論派に正反対をなしたるものは第三期の末に起こりたる経済論派にして、これに味方をなしたるものは法学
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