を吟味してもっていささかこれが存在を明らかにすべし。
 経済論派は改進論派のごとくに非干渉主義を取り、また自由論派のごとくに人類平等主義を取るものなるは明白なり。彼その説に以為らく、「政府の民業に干渉し、またはこれを保護することは自由競争の大則に反して富の発達を妨ぐるものなり、人すでにおのおの利己の心あり、利己のためにはおのおのその賦能を用いて進行す、優者は勝ちて劣者は敗る、貧富転換して公衆の富はじめて進む、政府の干渉はたまたまもってこれを妨ぐるのみ」。しかしてこの学派は日本の実状においては民業或いは干渉を要するものあることを顧みず、今の日本をただちに十八世紀末の欧州と同一視せんと欲したりき。しかれども経済論派は政府の干渉をもって民業に益なしとはなさず、ただ干渉によりての発達は自然の発達にあらずして、その発達はたまたま他の自由営業に妨害を与うと言うのみ。要するに経済論派は政府の職掌を単に警保の一部に止め、自由競争を認めてただその不正の手段を禁止するにありとなすものなり。この点においてはほとんどかの改進論派と同じ、貧富の懸隔を自然に任せ、政府すなわち国家権力の干渉調停をば会社主義の臭味と
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