ちたり。これに反して「立憲政体建設期の弁護」を勉めたるはすなわち第三に現われたる立憲帝政論派これなり。第一期の政論時代において政法上の急進主義を取りたる国権論派は実に自由論派と帝政論派との祖先なり、しかれども第二期に至り自由論派の父とも称すべき急激民権派に反対し「民選議院尚早論」を唱えたるものは帝政論派の父たる折衷民権派なりき。されば帝政論派は議院尚早論を紹述して当時に起こり、その父祖の系統において親戚たるにもかかわらず、痛く自由論派に反対し、並《あわ》せてこの点についての付和論派たる改進論派に反対したり。これを要するに帝政論派なるものは政法の改革および自由制度の設立につき他の二論派と相異なることなきも、ただ「改革および設立の期節」においてまったく反対したるものなり。
 帝政論派の代表者たるものは実に今の帝国憲法の起草者および註釈者たるところの伊藤伯を然りとなす。福地、丸山の諸氏は常時表面の論者たりしといえどもその本陣はまったく当時の内閣にありというべし。表面より虚心にこれを評すれば当時の内閣は自由制度の反対者にあらず、むしろその味方として自由制度の設立に進行するものなりき、されば帝政
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