人自由を政治の標準となす。わが国の改進論派は実にこれに似たるものあり。それ改進論派はリベラール論派なり、しかして前に述べたる自由論派は泰西にいわゆるデモクラシック論派に近し、デモクラシック派の理想は人類平等にあり、しかして衆庶社会の権利を張り公同自由の政治を挙げんことをその主眼となす。改進論派のもって自由論派と異なるところは実にリベラール派とデモクラシック派との差違に均しからん。これ二論派の明白なる区画にしてかの帝政論派との関係もまた実にここにあり。
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〔備考〕個人自由とは近来わが政論社会に行なわるる文字なり。今改進論派を吟味するに当たり端なくこの文字を提出するがゆえに、ここにその大要を説明せん。個人的自由とは一個人としてその固有能力を発達するの自由を指称す。たとえば富豪はその財産の力によりて自由に幸栄を増し、学者はその知識の力によりて自由に地位を高め、貧かつ愚なるものもまた国家の干渉を頼まずしてその固有の能力に応ずる発達をなすがごとき、これを個人的自由すなわちリベルテー・インジヴィジュエルとぞ名づく。改進論派はこれを政治の標準となすがゆえに、したがって貴族の成立
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