を是認しまた賤民の存在を常視す。すなわち中等社会〔ミッテルスタンド〕はこれを平均の度としてその標準となすところに係る、しかしてこの三種族の間に法律上の階級を固くせざるは、実に優勝劣敗の天則に任じて個人的発達を自由にするゆえんなり。個人的自由に反対して世人がつねに称道する国家的自由なるものあり、吾輩は国家的自由の何物たるを知るあたわず、しかれども泰西においては個人的自由に対するに公同的自由すなわち平等一般に享受するの自由というをもってせり。邦人の称する国家的自由は多分これを指称するならんか、公同的自由もしくは国家的自由とは、今の板垣伯が八、九年前に明語せしごとく、「自己の自由を枉《ま》げて公同の自由を伸ばす」との謂《いい》にして、貧富智愚の差等にかかわらず人民みな平等に自由を享有することを指す。すなわち板垣伯のいわゆる「富かつ智なる者が貧かつ愚なる者を圧するの政」は、個人的自由において尋常なるも、公同的自由、国家的自由には反するの政なりとす。以上は二者の区別なるも読者はこれをかの世俗にいわゆる個人主義および国家主義の関係と混じるなかれ、この対語は国家と個人との関係を意味するに似たり。すな
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