「立憲政体を立つるの詔は吾人に自由を与え吾人をして自由の民たらしむるの叡慮に出ず、ゆえに自由を主張するは聖詔を奉ずる者なり、これに反するものは皇家を率いて危難の深淵に臨ましむるものなり」と。この尊王旨義ははなはだ明白なり、然りといえども当時論者は政府部内の人にあらずして一個の人民なり、しかしその述ぶるところは時の政府に忠告するにあらずして同胞人民に勧説するにあり、しからばこの立論は少しく奇なりと言うべし。試みにその立論を換言すれば「皇家すでに自由政体を人民に約したり、もしこの約を履まざればやむを得ず吾人人民は皇家を危くせざるべからず」と言うに均しからん、思うに論者の意豈にかくのごときものならんや、ただその地位を忘れてその立言を誤りたるのみ、しかれども当時帝政論派より痛く非難を受けたるはまったくかかる点にありしがごとし。
 この論派は自由放任を主張することはなはだ切なりき。しかれどもその政府の職務に関する主説はかの改進党と大いに異なるものあり、改進論派は政府の職務をして社会の秩序安寧を保つに止まらしめんことを主張せり、しかして自由論派はいわく、
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 政府を立つるはも
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