東洋人はもとより上制下服の風習を完美とする者にあらず、しかれども虐政の起こるは実にこの風習の弊害にしてその常態にはあらずと信じたるがごとし。ただ世運日に進み事物のようやく複雑に赴くや、明君賢相のつねに出ずるを恃《たの》むべからずして、なるべく虐政を防ぐの法を設けざるべからざるに至る、日本において立憲政体の要用は実にこれより起これり。しかれども風習気質は容易に変ずべきにあらず、当時世人の立憲政体なるものを視るや、なお天皇の仁慈に出でたる一の良制を視るがごとく、衆みなこれを賛称するにかかわらず、真にその理を解する者はいまだ多からず、政事思想の幼稚なること誠にかくのごときものあり、その自由主義の世に誤解せられたる何ぞ怪しむに足らんや。泰西において自由平等の説ははじめ教理より起こる、一転して法理のために潤飾せられついに動かすべからざるの原則となれり、当時わが国にありては法理いまだ民心に容らず、いずくんぞよく自由平等の原義を解せん、そのこれを見て君相を軽んじ国体を破るの邪説となすはもとよりそのところなり、自由論派の薄遇、一は気質風習のいまだ化せざるによる者あり。
自由論派は猶予なく自由を唱えて
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