偉業を失うや久し、モ君出でてこれを回復しこれを恢張せり」と。陸羯南の人となり、真に先生に彷彿《ほうふつ》たるものあり。峭深《しょうしん》の文をもって事情を穿《うが》ち是非を明らかにするは韓非に似て、しかしてしかく惨※[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、73−上−16]《さんかく》ならず。もし不幸にして萎爾《いじ》するなくば、必ず東洋の巨人たらん。かつて『近時政論考』の著あり、余の意想を啓発すること鮮少ならざりき。多謝。
[#地から1字上げ]三宅雄二郎識
  明治二十四年五月
[#改ページ]

    例言

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
一、本篇は昨明治二十三年八月九月の交において著者病中に起稿し、わが『日本』に漸次掲載せしところのものを一括せしに過ぎず。著者講究の粗漏よりして、あるいは諸論派の本旨を誤認せしものなきにあらざるべし。識者誨教を惜しむなかれば幸甚のみ。
一、本篇もとより日刊新聞の社説欄を埋むるために起草せしものなれば、したがって草し、したがって掲げ再閲の暇あるべきなし。別に一冊となして大方に示さんとの望みは著者はじめよりこれを有せず。しかれども読者諸彦
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