の変還[#「変還」はママ]
 泰西の政学者はみな揚言していわく、近時の政治はすなわち国民的政治なりと、この語簡なりといえどもその旨や遠しと言うべし、いわゆる国民的政治とは外に対して国民的特立および内に向かって国民的統一を意味するものなり。この一点においても世人は「国民論派」の実に最新政論派たることを知るに余りあらん。いかにして泰西近時の政治は国民的政治たるに至りしか、吾輩の見るところによればそのここに至るまで三段の変遷を経過したるがごとし、何をか三変遷という、いわく、〔第一〕宗教的変遷、〔第二〕政治的変遷、終りに〔第三〕軍事的変遷、吾輩請うこの三遷を左に略叙せん。
   その宗教的変遷
 国民と言える感情は合理の感情なり。欧州においてこの感情の発達はなはだ遅かりしはいかなる原因によりしか、史学家の説によればかのキリスト教の勢力をもってその因となす。宗教革命の以前にありては、宗教の感情は愛国の感情よりも非常に強かりしこと何人も知るところのごとし。この時に当たりキリスト教を奉ずる者は国の異同を問わず互いに相結托して強大なる団体を作《な》し、もって国家法度の外に超立するのありさまなり。されば仏国人民にして宗教のためその国に叛きあえて隣国のスペインに合同するあり。ゲルマンの公侯にしてその国皇に叛き救援をその同宗教国の人民に請うあり。宗教上の統一、むしろ宗教上の専制はほとんど国民と言える感情を破壊し、政府なるものはただその空名を擁して実権を有せざるに至る、この無政府的禍乱に反動して起こりたるものはかの宗教革命なり。宗教革命は教権の統一および専権を破りて信教自由を立つ、信教の自由すでに立ちて教権ようやく衰え、しかして国民的感情ははじめてふたたび人心に萌す。これを第一の変遷となす。日本近時の政論派にしてキリスト教と抱合し、あえて国民的感情を嘲る者は、まさに泰西百年前の政論を復習するに過ぎざるのみ。しかしてこの輩は自ら称して進歩と叫ぶ、吾輩はこれを呼びて泰西的復古論派といわん。
   その政治的変遷
 欧州人はすでに宗教上の圧制を破り外部に対して国民的精神を回復せり。しかれども当時の国民はなおその内部における統一を失い、権力の偏重によりて政治上の圧制を存す。ここにおいて人民はこの第二の圧制を破ることに向かいたり。八十九年における仏国大革命は実に国民的感情の第二変遷を来たせり。この革命はもと毫も国民的感情に関係なく、その鋒もっぱら旧慣の破壊に向かい、封建論を唱うる者を死刑に処したるがごときの点より見れば、むしろ国民的感情に反対するの観ありき。しかれども国民的政治は国民統一をもってその一条件となす。封建遺制の錯雑を一掃して、かの宣言書にいわゆる単一不分の共和国を立つるは、日本の維新改革に近似して内部における国民的精神の発達と言うべし。すでにして仏人の国民精神すなわち愛国心はその適度を越えてほとんど非国民精神を呼び起こしたり。宣言の一条たる四海兄弟の原則は端なく国民といえる藩籬《はんり》を忘れしめ、共和国の兵は国の異同を問わずただ暴君に向かうべしと大叫するに至りたり。ここにおいて欧州諸国はさきにローマ教皇の威力に脅かされたるごとく、その第二として仏国革命の威力に脅かされ、ふたたび国民的感情の挫折に遭遇せり。しかしてこの恐るべき威力に対してはまた反動を来たすこと自然なりと言うべし。欧州人はすでに革命の思想に流圧せられたり、しかれどもその自由を保ちその幸福を全うせんには彼らいたずらに革命党の力を借りて一時に快を取るの不得策を感知せり、彼らは国民的精神をもって国民の統一を謀り、しかして国民的政治を建つるの必要に迫られたり。国民的精神はここに至りてふたたび活動し、宗教の異同はもちろん、政論の異同にかかわらず、国籍を同じくするものがともに団結を固くして一致するの至当を認む、吾輩はこれを国民的精神の第二変遷とす。
   その軍事的変遷
 革命の騒乱すでに鎮《しずま》りたり。希世の英雄ナポレオン第一世は欧州全土を席巻したり。南地中海岸より北スカンジナーヴに至るまで大小の諸国は仏国の旗色を見て降を請い、万乗の王公は仏国武官の監督を受けてわずかにその位を保ちその政を執ることを得たり。ここにおいて欧州人の国民的精神は第三回の挫折をなし、ほとんど「国民」と称する団体を「地方」と言える無形人のごとくに感知するに至れり。法律制度より言語礼習に至るまで人々みな仏国の風に倣い、偸安姑息《とうあんこそく》の貴族輩に至りては争いてナポレオン帝に臣事せんことを望む。欧州の国民的精神はすでに二回の挫折を経たりといえども、いまだこの回のごとくにはなはだしきことはあらざりき。この回の挫折はほとんど社会の根柢にまで動揺を来たし、当時欧州諸邦が仏国勢力を感受したるさまはなお日本がさきに欧州勢力
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