音もけたたましく駆けて行く自転車乗りの小僧に、僅か十銭ばかりの運賃で荷物の奪い合いをする支械《チゲ》軍などで。玄竜はこういう人々の波をくぐるように急ぎ足で通り抜け、鮮銀(朝鮮銀行)前の広場に出て立ち止った。電車が繁く往き交い自動車が群をなしてロータリーを走り廻っている。彼は慌てふためきつつ広場を突き渡って、向い側の静かな長谷川町の方へはいって行った。暫く歩いて行くと右側に高い昔風の塀が続いて、古色蒼然とした宏壮な大門が立ち現われる。それをくぐってはいれば広い庭園の中に、韓国時代どこかの国の公使館であったとかいう立派な洋館があった。玄竜はそこまで殆んど無我夢中に辿り着くと、胸を躍らせつつ廻転扉を押して追い込まれるようにはいって行った。
「田中君に取り次いで下さい」と彼は帳場の前に立ち現われるなり、十二分に威厳をつくろって口を切った。「僕、玄竜と申します」
 髪を綺麗に梳《す》いて分けたボーイは野郎又来やがったなといった調子で、彼の方を上から下へとじろじろ眺めてから、
「お出掛けですが……」
「出掛けた?」玄竜は如何にも意外らしげに、しかも自分はそれを充分意外に思ってもいい人だというふうに
前へ 次へ
全74ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
金 史良 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング