と玄竜は纏《まつ》わりつきながら腰をかがめた。「……実はそのう、田中君を一日中捜し廻ったんですよ。それで腹ぺこになったもんですから……つい、へ」
「おい、どうしたんだ、お寺には? ぐずぐずしないで一日も早く行くんだ!」
「はあ」と畏《かしこま》って玄竜はばつ悪そうにもじもじするのだ。「それはもうよく分っているんです」
 大村は角井や田中ににやりと目配せをしてみせ、それから遠来の客もあることなので自分が朝鮮にいて如何に朝鮮人のためを思っているかを身をもって示さねばならぬと考えた。
「早く謹慎の状をみせるんだ! 警察の手に君を渡すに忍びない気持があるからこそ、立派な和尚さんの所へ行って頭を直して来いと云うのじゃ。要するに君のような人間たちの魂を引き上げるためなんじゃ。煩悩を断つんだぞ、煩悩を」
「はあ、だから僕も……」
「分ったか、宜しい」そこで得意げに一度肩を張った。客達は皆目をきょとんとさせてこの光景を眺めていたが、さすがに田中は感慨無量そうに目をつぶったまま聞いていた。
「今はどういう時局だと思う。はっきり時局を認識しなくてはいかん。酒場を飲み倒したり、女を強奪したり、人を恐喝するなどもっての外じゃ。君は内鮮一体内鮮一体と気違いのように叫び廻るけれど、朝鮮人は誰一人君を相手にしないそうじゃないか。もう少し反省するんだ。まともな人間に帰れと云うのじゃ。分ったか、わしが君を応援することにつけ込んで、人の好意を利用するなんて絶対に許されん。莫迦奴! そんなに恩知らずだとはわしは始めて分った!」それから自分の語調に感動しついには興奮してしまった。「全く恩知らずの悪い奴め! まだ君の悪いことが分らんのか。内鮮一体ちゅうのは君のような人間の魂まで引上げて内地人同様にしてやることなんだぞ」
「それはそうです、だから僕は人に気違いとまで云われる程の熱情でそれを主張して来たんです。そうですとも、実際男分の日本が女分の朝鮮に手を伸して仲よく結婚しようと云うのにその手に唾をひっかける理由はないですからね。一つの体になることによって始めて朝鮮民族も救われるんです。僕は感激しているあまり朝鮮人に誤解さえ受けているのです。朝鮮人ちゅうのは一体に猜疑深い劣等民族ですから」
「それは待った」と大村は手を上げて思い深げに差し止めた。「朝鮮人の君達はあまりに自虐性にかかっている。わしの周囲にいる朝鮮人は皆自分の民族の悪口ばかり云って来るがそれが先ず第一いかんことじゃ。分ったか。もちろん反省し自分達の悪い点をなおすことは肝腎じゃ。だが自分を大事にしなくちゃいかん。大事に。それが出来ないのが、他の民族に劣る点じゃ。内地人を御覧! 内地人は決してそんなことはない」
「そうですよ、だってそうじゃないですか」と玄竜は慌てふためきつつ何の前後脈絡もないことを叫び始めた。彼は自分が何時か書いたことのある、至って学術的な文句を先から思い出してそれで頭が一杯だったのである。「少くとも地理的にみても、考古学的にみても、それから人類学的にみても、即ちアントロポロジー的にみても、生物学的にみても……」
 こうしきりに並べたてる時、角井ははたと学者的な良心に突き当ったので、
「それは君、アントロポロジーじゃなくてアントロポロギーだよ」と訂正した。
「そうですよ、そのアントロポロギー的にみても、又フィロロギー的にみても日本と朝鮮は男と女の相違しかないんです……」
 大村は彼のこのペダンチックな慌て方がおかしくてひとりでにやにや嗤っていたが、ふとそれを見た玄竜はもう大村が自分の熱情に気をよくし直したのに違いないと考えたので、いきなり全身をぐっと前に乗り出して、
「ところが大村さん」と叫んだ。「田中君とは僕はかけがえのない親友なんですよ」
 だが大村は云うだけ云ったというような調子で、くるりと田中や角井の方へ向き直って云った。
「さあ、もうそろそろ引上げましょうかな。大抵どんなものか見当がついたでしょうな」
「ああ大村さん、もうお帰りになるんですか」
 と玄竜はびっくりして、急にばね仕掛けにでも弾《はじ》かれたように大村の腕へ獅噛附《しがみつ》くように飛び出した。が、そのとたんに落ちていた桃の枝に足元がひっかかったので、彼は咄嗟《とっさ》にそれをすくい上げて抱え込みながら喘いだ。
「大村さん、大村さん!」
「どうしたんだね、それは又」と大村は不審そうに体を反らしてじっと見つめたかと思うと、「そんな様をして又歩いているのか、君のことはもうわしは知らん!」
「大村さん、大村さん」玄竜は急にへなへなに腰がくだけて悲しげに叫んだ。「あまりに花がいたいけないので街で百姓から買って来たまでなんです」その時自分の飲み代まで角井が払いをすましている様子なのを見て、彼はきまり悪くなったのか、慌しく田中の方へ廻
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