「君は帰ってからは朝鮮語で小説を書いていたんだってね」
「そうだよ、そうなんだよ」と玄竜は待っていたとばかり有頂天になって叫んだ。「僕は朝鮮に帰るなり素晴しい作品を矢継早《やつぎばや》に出したんだ。始めは野郎たち朝鮮にも天才のランボウが現われたと云って、目を丸くしやがった。だがだんだんと僕の読者がふえ地位も高まって来ると、文壇の奴等は嫉妬して葬ろうとさえしたんだ。大体君も見れば分る通り朝鮮人ちゅうのは仕様がねえんだ。いいか。狡くてそれに臆病なんだから党派を作って人が偉くなろうとすると突き落すんだ」その時角井はそれごらんと云わぬばかりに田中に向って顔をしゃくってみせた。田中は肯いた。
「奴等は僕が東京文壇で皆の注目をひいて活躍していたことさえ知らないんだよ」そしてちらっと角井の方を偸《ぬす》み見て、「無知だよ、全く無知だよ!」
 内地人と向い合った時には一種の卑屈さから朝鮮人の悪口をだらだらと述べずにはおれない、そうして始めて又自分も内地人と同等に物が云えるのだと信じ切っている彼である。いよいよ玄竜は火のような熱情に燃えて激しい息づかいをしながら叫んだ。
「僕はこういう度し難い民族性を考えると悲しくてならないんだ、田中、おう君、僕の気持を分ってくれるか!」
 彼は声を出してよっぽど泣こうかと思ったが、ただ手で顔をおおうてしゃくり上げただけである。田中はすっかり感動して、
「分るとも、分るとも」
 と共に泣く気持になり、やはり朝鮮にも来てよかったと思うのだった。内地にくすぶっていては島国文学しか出来ないと云うのは全くだ。ここに大陸の人々の苦しむ姿がある。箸にも棒にもかからないような男だった玄竜でさえ、もっと大きな本質的なもののために全身をゆすぶって悩んでいるではないか。そうだ、これこそ朝鮮の知識階級の自己反省として内地に報らせよう。尾形に俺の目が負けてはなるものかと力みつつ沁々《しみじみ》歓びを感じた。支那人は分らんと云う連中は愚の骨頂だ。朝鮮人を僅か二日で分ったこの調子でなら、俺は四日位で充分分ってみせるぞ、とも心の中で叫んだ。兎も角それのためにはいきおい玄竜を朝鮮の代表的なインテリにして書かねばなるまいとまで、頭でちゃんと構想をねっていた。が、角井にしては玄竜のことが滑稽でならないので、とうとう凱歌を上げたい気持になって意味ありげに彼の方をじろりと見やってから、
「莫迦に大村君は遅いですな、一人で帰ったのでしょうかな」
 と田中に向って云った。彼は玄竜が大村を雷のように怖れていることを知っているからである。
「え、大村君?」果して玄竜は一時に酔いがさめたように目を大きくしてぐっと体を起した。「大村君、大村君と一緒だったんですか?」
「うん、そこらで何か買物をすると云っていたがね」
 怪訝《けげん》そうな顔をしてから答える田中の話を聞いて、あ、これはいけないと慌てて、
「そうなんだ」と訳の分らぬことを叫んだ。「だから大村君と力を合わせて、朝鮮民族を改良するために努力しているんだ。問題は簡単なんだ。朝鮮人|悉《ことごと》くが今までのような固陋《ころう》な思想からぬけ出て、東亜の新事態を確認し、そしてひとえに大和魂の洗礼を受けることなんだ。それがため僕は人から気違いとまで云われながらも、大村君のU誌にいつもセンセイショナルな論文を書き立てたんだ」そこで急に声をひそめて首を突き出し、
「大村君は僕のことを何とも云わなかったのかい?」と訊いた。
「いや別に……」
 と田中はお茶をにごしたが、玄竜は又急にもとのような調子にかわって、
「大村君は実に当代稀にみる立派な奴だよ。だから僕など民間にいながら率先して全力を尽し助けているんだ。だが惜しいかな、好漢大村君も芸術家が分っていないんだよ、真の芸術家というのが……だから田中、君のような作家が大いに啓蒙してやるべきだと思うんだよ。ハムレットでもあるまいに、僕にお寺へ行けと無茶を云うんだから愉快なんだよ。それがね、尼寺へならともかく禿坊主のところへなんだよ。ねえ、僕がオフェリヤかよ? 僕はこう見えても憚《はばか》り様ながら頭はしっかりしているんだ!」
 角井はいかにも憐れむように田中に嗤ってみせつつ、すっぽらかして出て行こうというふうに、その洋服の裾を引張った。ところが玄竜が妙に喉にからんだ声を張り上げて強がりを云っている時、当の大村が悠然と入口の方からはいって来た。見るからに四十がらみの堂々とした立派な紳士である。玄竜はすっかりうろたえて、へーと笑いながら首筋に手をやるとぺこんと頭を下げた。角井は傍で意地悪い声を出してけけけと突然嗤うのだった。大村はここに玄竜がいるのを見て急に不機嫌になって呶鳴った。
「どうしたんだ、君は又こんな所へ来てくだをまいているのか」
「へー大村さん、へ、どうも」
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