り乱し方にしろ、又この少年のいたましい叫び声にしろ、私はどちらも責められないような気持だった。その場へぐったりとして倒れそうであった。婆やが一先ず山田を連れ出したので、やっとその場が収拾のついたようなものである。李君は激しく罵るように皆の前で云った。
「あいつのおやじは博徒《ばくと》の人でなしなんだ。つい先日監獄から帰って来たんだ。その間あの気の毒な婦は飲まず食わずにどんなに苦しんだか知れないや。その間中僕のうちへ、近処でなつかしいもんだから、やって来ては御飯を貰って行ったんだ。だのにあの悪党野郎は監獄から出ると、僕の所へ自分の嬶《かか》がゆききをしていたというので、ひどいやきを入れちゃったんだ。助かりやしねえ、もう助かりやしねえんだ」
彼はひーんと洟をかんだ。医療室から人が出て来て静かにしてくれるように云った。私は李を少しばかり離れた所へ連れて行きながら質ねた。
「君は山田春雄の家を知っているんですね」
「知っているもいないもないです」彼は忌々《いまいま》しそうに云った。「奴も駅裏の沼地に住んでいるんです」
「そうですか、随分ひどいもんだね。どうして君の家へゆききしたというのでいじめたのでしょう?」
彼は歯を食いしばった。
「そ、それは僕のお袋が朝鮮服を着ているからなんです。それで朝鮮人のところへ行くなってんです。へん、ふざけてらあ、莫迦《ばか》野郎奴が、あの前科者奴は何だと思うんです。たかがあいのこ[#「あいのこ」に傍点]じゃねえか」そして目の前に相手をおいたとでも云うように叫び声を上げた。
「野郎、覚えておくがええぞ、一度でも出会《でくわ》したなら、貴様の首ねっこはもうねえと思うんだぞ、やい、この半兵衛野郎!」
「え、半兵衛?」私は驚いて問い返した。
「そうです」彼は息を切らしながら云った。「ひどい悪党です、残忍な奴なんです、へん、だがな、今度こそ僕が承知しねえからな、野郎! 嬶の殺人罪をきせてやるからな」
「半兵衛」私は再び呟いてみた。どう考えてもそれは確かに私には耳なれの名前である。
「半兵衛、半兵衛」私は何度も口ずさんでみたが、記憶の中を空廻りするだけでどうしても思い起せなかった。
その時に医師の矢部君が出て来たので、私たちは彼の方へ駆け寄って経過をきいた。彼の話では生命には別状もないだろうが、何しろひどい刺傷でどうしても一カ月の入院治療は要するか
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