て取り消した。全くへんな子供だなあと私は思った。丁度それと殆んど同じ瞬間だった。もしや彼がその朝鮮の子供ではないかという考が不意に浮んで来たのは。私は驚いたように彼の顔をじっと見つめた。彼は顔をこわばらせ警戒するように後ずさりした。そして急に一目散に階段をかけ下りながら叫ぶのだった。
「うん、僕、帽子をかぶって来るよ」
 私は静かに首をふりながら階段を下りて行った。
 だが私は玄関口から近い階段まで下りかけた時に、下の方で並々ならぬことがもち上っているのを知った。息をひそめてもみ合いながら、医療部の医師や看護婦や購買組合の男たちが、玄関口に横着けにされた自動車から一人のみすぼらしい恰好をした婦《おんな》を運び込んでいる。その後から助手の李がひどく興奮しているとみえ、肩で呼吸をきらしながらはいって来るのが見えた。婦の頭は血まみれになって後へぐんなりと垂れている。春雄がその傍をぶるぶるふるえながら二三歩ついて来たが、私を見附けるとぎょっとして立ち竦《すく》んだ。私はすぐに李の方へ近附いて行って、心配そうにどうしたことだと質ねた。すると彼は歯ぎしりしながら叫んだ。
「亭主に刃物で頭をやられたんです」医療部の戸口でがやがやしていた人々は皆驚いて彼の方へ振り向いた。「あの婦は朝鮮の人です。亭主は内地人の、これはひどい悪党なんだ」それからハンケチで首筋をふこうとしたとたんに、傍の方でうろたえている山田春雄を見附けると、彼は恐ろしい勢で少年の方へ飛びかかった。
「丁度こいつだ。こいつのおやじなんだ」彼は山田の手首をねじ曲げながら恰も犯人でも挙げたように「こいつの、こいつの」と口に泡をふくんで叫ぶのだった。その声はもはや興奮のあまり泣声にかわっていた。
 山田はひどく苦しそうに悲鳴を上げながら、
「違うんだよ、違うよ」と喚いた。「朝鮮人なんか僕の母じゃないよ、違うんだよ、違うんだよ」
 男達が中にはいってようやく二人をひき放した。私は殆んど茫然としていたのである。李君はいきりたって再び襲いかかり山田の背中を勢にまかせて蹴りつけたので、春雄はよろめきながら私の方へ抱きついて来た。そしてわーっと泣き出した。
「僕は朝鮮人でないよ、僕は、朝鮮人でないんだようー、なあ先生」
 私は彼の体をしっかりと抱いてやった。私の目頭には熱いものがじーんとこみ上げて来るのを感じた。あの李のやけのような取
前へ 次へ
全26ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
金 史良 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング