ら、今に意識を返すのを待って、どこかほかの病院へ移さねばならないとのことだった。李はその話を聞くと真蒼になって声をふるわせ、亭主が何しろ半兵衛で鐚銭《びたせん》一文持たないごろつきであるから、入院などとても覚束《おぼつか》ない、助けると思ってここに治るまで寝かせてくれとすがり附いて頼んだ。
「先生、お願いです、僕の方でお粥だのそんなのは持ちますから、先生……」
だが実際のところここは医療部といっても、有志医学士が二三人昼間やって来て簡易治療にたずさわるという程度で、重傷患者を入院させるという程の所ではなかった。それで矢部君も暗然として首をひねりながら、私にどうしたものだろうと訊ねるのだった。私はすぐ近処の相生病院の尹医師を思い出したので、その方へ電話でお願いすることにした。それは貧民救済医院といったもので、資金が朝鮮の労働者たちのか細い懐から出ているだけに、朝鮮人にはいろいろ特典があった。丁度空いているベッドがあったために工合よく話がまとまった。それで再び彼女は担ぎ出された。もはや頭や顔には白い繃帯が何重にも厚ぼったく巻かれていた。それは丁度羽根のとれたとんぼのようにみじめだった。彼女は私たちに護られながら小路をぬけた所にある古ぼけた相生病院に運ばれた。手術台にのせられた時にもほんの少ししか意識がないようだった。彼女は二言三言呻いたようだったが、はっきりと聞きとることが出来なかった。体の小さい、弱々しそうな女だった。指先は蝋のように真蒼で血の気も通っていないようだった。その傍で尹医師は矢部君の話に耳を傾けながら、いろいろな医具の準備をととのえていた。私は彼等が再び彼女の繃帯をほどこうとするのを見て静かにその部屋から出て来た。
外はだんだん険しい空模様になっていた。風が出て来た。藤棚の葉っぱが激しく揺れていた。
病院には半兵衛も春雄も現われなかった。
三
日の暮れる頃はもうどしゃ降りになっていた。ますます風もひどくなり、雨は桶を流したような威勢で降り出した。窓ががたがたふるえ電灯が明滅していた。子供は一人も来ていなかった。ただ二階で数学の授業がひっそりと行われているだけだった。
私は食堂の方で二三の同僚たちや婆やと山へ行った子供部のことを心配し合っていた。だが私の脳裡には先程起った事件のショックがやきついてどうしても離れなかった。と云っても私はその
前へ
次へ
全26ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
金 史良 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング