故郷を想う
金史良

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)殆《ほと》んど

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大抵|蒼惶《そうこう》として

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)背伸びしようとするつた[#「つた」に傍点]が
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 内地へ来て以来かれこれ十年近くなるけれど、殆《ほと》んど毎年二三度は帰っている。高校から大学へと続く学生生活の時分は、休暇の始まる最初の日の中に大抵|蒼惶《そうこう》として帰って行った。われながらおかしいと思う程、試験を終えると飛んで宿に帰り、急いで荷物を整えてはあたふたと駅へ向った。それも間に合う一番早い時間の汽車で帰ろうとするのである。
 故郷はそれ程までにいいものだろうかと、時々不思議になることがある。成程郷里の平壌には愛する老母が殆んど独りきりで侘《わび》住居している。母はむろん、方々へ嫁いだ心美しい姉達や妹達、それから親族の人々も私の帰りを非常に悦んでくれる。庭は広くないが百坪程の前庭と裏庭がある。それが又老母の心遣いから、帰る度に新しい粧《よそおい》をして私を驚きの中に迎えるのだ。昨年の夏帰った時には、庭一杯に色とりどりの花が咲き乱れ、塀のぐるりには母の植えたという林檎の苗木や山葡萄《モルグ》の蔓《つる》がひとしお可憐だった。それに玄関際の壁という壁にはこれから背伸びしようとするつた[#「つた」に傍点]が這い廻っていた。秋に入りかけ花盛りが過ぎ出した頃、コスモスをもう少し咲かせればよかったのに、それが気付かなかったのだと、母や妹は済まなそうに云っていた。私がそれ程の花好きというのでもないのに。母ももう年を取ったものだと思う。そして帰る度毎に、気力や精神が衰えているように思われて悲しい。六十をこえると老い方も一層早いのだろうか。
 殊に昨年はコスモスの咲き出す頃、すぐ上の姉|特実《トクシリ》が亡くなった。三十という若い身空で、子供を三人も残してはどうしても死にきれないと云いながら、基督教聯合病院の静かな部屋で息を引取った。その死は今思うだに悲痛なものに感じられてならない。それを書くには今尚私の心の痛みがたえられそうもない気がする。彼女は私のはらからの中では一等器量がよくて、心も細やかであり明朗でもあった。父が母と違って絶壁のように保守的で頑固なために、幾度母に責
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