生かし合っている、そして如何にも精神を以てこの世界を飾るという感じがする。ウィリアム・ブレークやシャバンヌなども装飾的だ。ブレークの描く人間の形は布局の線のための形だ。その表情から来る想像の力をぬかせば。
こういう内容の一部を生かすのには日本画法はよい手法である。花鳥でもいい人物でもいい風景もよかろう。写実に行かずとも充分に内から湧《わ》く美で形を与える事の出来る内容(即ち内なる美)を取る人が執るとあの資料はたしかに世界に特殊な美を生んでくれると思う、昔の日本画にはそういうものがわりに沢山ある、いろいろの程度で。
或る個性が特に日本画ばかりかくのもよかろうし、洋風の画家が或る時の内容を日本画法によって生かすのもいい。西洋にもエッチングのみやる人と、彩描のかたわら或る内容をエッチングで表す人との二種があるように。
しかしここに殊に注意したいのは、一般的に見て、そういう装飾の道を通る個性は、写実の道を通る個性より少いのが本当だという事である。前にもいった通り美術の元は装飾だが、それが模造(写実)の本能と一致して更に芸術として立派に発育したものなのだから。画家となるという事は、太古から
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