「自然の美」でありその表現の写実の道である。かくて写実の道は芸術の域を広め深め美を複雑にした。装飾の美術ばかりの時代には知らなかった美を微妙な自然の線の中に見たり色の中にみたりした。しかしこれは終《つい》に内なる装飾の発育に過ぎない。自然を人が美くしいとみる事は、その瞬間に内において世界を装飾化した事であり、肯定した事であり、その表現はその証拠であり確定である。
 しかし美術の上においては自然の形象に即して美(装飾)を見てそれを追求するものを写実といい内の無形の美を主として自然の形は想像的にこれをかりてそれによって内にうごめくものをあらわすのを想像または装飾の道という。ともにその根元は「内なる美」(装飾)だけれど、追求のしかたが違うのである。
 将来の日本画はこの装飾または想像の美術の上に生かされるべきである。ただ装飾といっても人々のすぐ思うような模様化されたものではない。例をとっていうと、日本の古典や仏像には美くしい想像と装飾がある。人々が装飾的だと思う光琳《こうりん》などは僕の目には本当の装飾の感じをうけない。形式がいやに目について装飾の感じは来ない。装飾の感じは線や何かが有機的に
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