にいえば、洋画に引かれているから。何故洋画に引かれているのかといえば、写実という事が一般画家にとって、大なる大なる誘惑であるから。物を如実に表わしてみたいから。
 かくて彼らは何と弁解しても写実の路《みち》を歩こうとしている事は否めない。唯《ただ》それが本当の写実にならないのは独《ひと》り日本画のみならず、日本はおろか世界中の数千万の凡庸画家の画は殆ど皆|悉《ことごと》く、ふみちがえた写実に堕しているものなのだから仕方がない。
 それなら将来の日本画はどういう道に生れるか。いわゆる旧派の日本画はもう形式になり終って、その型になり切った美術的要素には新らしい日本の心を盛る力がない。それなら何が残るか、ただ残るのは紙と、筆と墨と画具である。それと、日本画(あるいは東洋画)のそれらの質料の持つ型にならない美術品的要素である。(例えば毛筆のカスレ、ニジミ、紙と墨との特殊の味、線のカレやふくらみ、東洋風の色調の持つ味その他無数)これは保存すべきものであり、或る特殊の個性にとっては持って来いのよき質料である。
 美術というものを何でも写実でなくてはいけないと思い込む人が多いが写実は美術の最も一般的
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