いう人は画家ではなく発明家の部類に入るべき人で、もしその人が本当の美というものをリアルの上に見たならば、なんでいつまで表現に不自由な日本画の苦心を重ねる必要があるか、その人の内に燃える創作欲はそんな事しているまどろこしさに耐えるものではない。かかる事をいう人は畢竟《ひっきょう》「美」を知らぬ人で画家ではなく、うまく行って日本画具使用法改良研究者に属する人である。但しかくの如く、「美」を知らぬ人の「審美」によって出来た画具使用法が如何《いか》に改良されても、本当の画家にとって有難いものであるか否か、うけがわれない。
しかしまた一方にはあれは写実ではないという人もあろう。無論本当の美術としての写美にはなっていない。物象の如実感が「美」にまで達していない。
しかし或る人々がそれを写実ではないという意味とはちがう。或る人々は写実でなくてもう一つ別の芸術境であるといいたいのである。しかしそれは嘘だ。日本画としてああいう風に彩描して行く事の一番底に流れている要求は何か? 多少の様式化をしていながら、何故日本絵具ですっかり厚くぬりつぶしたり、モデリングをつけたり、遠近、光陰をつけたりするか。卑近
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