ざめな話なのである。
 元来妖怪等というものは、人間の神秘的要求、恐怖本能、等から生れた空想を一層興味を以て潤色し工風《くふう》した一種の恐怖的な神秘詩なのだから、人間の一面には、この化物を愛好し、その存在を守ろうとする一種の本能的な気持があるものだ。
 それと同時に人間には、そういういわゆる乱神怪力を、信じない本能がある。信じまいとする本能は誰れでも気がつくが、それではなく信じない本能というものがあると思える。つまり「何だかおかしい。そんな理屈はどうもない」という、唯物的、合理性本能というようなものが、学ばずして人間にはあるように思える。昔、科学の力のなかった時代でもよく、賢明にして意志の強いような人物は、「世に変化《へんげ》の類《たぐい》あることわりなし」とか何とか明言しているが、その人が今日の唯物論を学んでいた訳はないので別に学術上の確かな論拠は持っていないはずである。しかしその人にとっては、それは実感であって、動かし難いものなのである。その人とても大木の下を通る時とか、その他恐ろしいところを通る時にはやはり実感的に一種の鬼気を感じたであろうが、それにもかかわらずその人は、世に変
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