うほどの意)になって行った。明治になって一層その傾向が強くなった。この事は芝居の大道具背景小道具等の変せんを見れば一目瞭然《いちもくりょうぜん》とするはずである。芝居にしても、荒唐無稽《こうとうむけい》な荒事《あらごと》から自然主義的な人情劇にかわり、明治大正には新劇という少しの芝居もしない自然そのままの芝居になってしまった。
幽霊の絵もこの類を漏れず、如何にも幽霊らしい、本当の幽霊とはどんな感じだろうという幽霊のかかれたのは応挙《おうきょ》以来だという事だ。この説の当否は別として、ともかくも応挙時代からという事だけは当っていようと思う。
ここにちょっと面白い例を引くと、西洋の天の使をかいたものの変遷を見ると、日本幽霊の画の変りかたとかなり面白い共通がある。
即ち初期ルネサンス時代(ヴァン・エック、アンゼリコ、等)の天の使には足がある、また崇厳な端麗な感じはどこともなくあるが、その扮装《ふんそう》は高貴な王女のようでともかく霊体のようにはかいてない。
ところがチントレットになってやや天人は地上的でなくなり、グレコになると、一層この世ばなれという事が殊《こと》に考案されてある。
更にレムブラントになるともし天人というものが、仮にあるとして、それが姿をあらわしたらこうもあろうという風に、つまり、実写的天人がかいてある。
[#挿絵(fig46521_02.png)入る]
ヨセフだったか何だか忘れたが二人の老夫婦? のようなもののところへ現われている天使は、その体が透きとうていて背景の物体がみえている。正に幽霊の如く、足もあいまい[#「足もあいまい」に丸傍点]になっている。
これらの事に関する美術上の批評は本論でないからわざと省いて、ともかくも、芸術というものは後世になるに従い、つまり人間の科学的になるにしたがって、実写的になりたがる(写実的ではなく)。活動写真がよろこばれるのはその理である。
それで幽霊も、古い絵巻等には足のある、常人とかわらぬものが描いてある。菅公《かんこう》が幽霊となって、時平《ときひら》のところへ化けて出るところをかいた、天神|縁起《えんぎ》の菅公の幽霊は、生前の菅公をそのままにかいてある。
そこでここに一つの断定が出来る、つまり幽霊というものを本当にモティフにしたのは、つまり独立して、幽霊の幽霊らしさをモティフとしたのはどうしても
前へ
次へ
全13ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 劉生 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング