丁度その時分知人の家庭に少しゴタゴタがあったのだが、夢の中もそのゴタゴタのため、その知人の家へ私と家内とで行っているのである。八畳ほどの部屋で、中央に電気がついている。夜である。皆座敷に立ったまま何か話している、私の家内の他《ほか》にそこの主人とそこの妻君《さいくん》の四人であった。部屋の左手は襖右手は障子だがあけはなしてあって椽側《えんがわ》があり、その外は暗い庭である。私はふと右手の椽側を見るともなしに見たところ、其処に、へんな奴が立っている。それは鬼だが、顔の皮膚が丁度皮をむいた桜海老《さくらえび》の通りの色をしている、へんに生々しい感じである。別に画にみるようなトゲトゲはないが短かい角はある。髪はザン切りにしていた。それがひどく汚《よご》れた印袢天《しるしばんてん》風のものを着て、汚れたひもを帯の代りに締めている。胸が少しはだけているがその皮膚はやはり顔と同様桜海老である。手はだらんと下げていたがやはり同じ色と感じを持っている。そいつが実に黙って椽側の外に立っているのだ、私はこれはいけない、イヤナものが来たと、全く心底から思った。この感じは恐らくこういうものを見た時の実際の感じに近いと私はいつも思っている。妻や何かに知らせて、大さわぎしたら、座敷へ上って来るだろう、どうしようかと思っていると、忽《たちま》ち妻がひどい金切声《かなきりごえ》で「どうしましょう、あんなものが!」といった。これを聞くと同時に私は一足とびにすみの柱にかじりつく、皆も飛んで来て、私の上からしがみつく。するとその鬼が、上って来て、一人一人上からはがして行くのでないかという恐怖が全く実感的であった。それで眼が醒《さ》めたのだがこの時の妻の呼び声その言《ことば》等かなり実際的なもののように私は思うのである。
 ばけもの談大分永くつまらぬ事をかいた、この辺でこのばけものも消えようと思う。
[#地から1字上げ](大正十三年八月二日記)



底本:「岸田劉生随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1996(平成8)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「岸田劉生全集 第三巻」岩波書店
   1979(昭和54)年8月発行
初出:「改造 第六巻第九号」
   1924(大正13)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:n
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