ワで戦争しなければならなくなったのである。
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* Withers, Poverty and Waste, 1915.
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思うにもし英国の富豪ないし資本家にして、消費者としてはた生産者としての真の責任を自覚するに至るならば、ただに国内における社会問題を平和に解決しうるのみならず、また世界の平和をも維持しうるに至るであろう。
これをもって考うるに、ひっきょう一身を修め一家を斉《ととの》うるは、国を治め天下を平らかにするゆえんである。大学にいう、「古《いにしえ》の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先《ま》ず其《そ》の国を治む。其の国を治めんと欲する者は、先ず其の家を斉《ととの》う。其の家を斉えんと欲する者は、まず其の身を修む。身修まって後《のち》家斉い、家斉うて後国治まり、国治まって後天下平らかなり。天子より以《もっ》て庶人に至るまで、一に是《こ》れ皆身を修むるをもって本《もと》を為《な》す。その本乱れて末治まる者は否《あら》じ矣《い》」と。嗚呼《ああ》、大学の首章、誦しきたらば語々ことごとく千金、余また何をか言わん。筆をとどめて悠然《ゆうぜん》たること良《やや》久《ひさ》し。[#地から1字上げ](十二月二十六日)
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付録
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[#「家庭におけるロイド・ジョージ」のキャプション付きの写真(fig18353_10.png)入る]
ロイド・ジョージ
一
ロイド・ジョージはとうとう陸軍大臣になった。
ロイド・ジョージがいよいよ陸軍大臣になったと聞いて、思い起こさずにはおられぬ彼の演説の一節がある。その一節というは、今より七年あまり前、すなわち一九〇九年の四月二十九日、当時の大問題たりし増税案につき、彼が時の大蔵大臣として有名なる歴史的大演説を試みし時、最後に臨んで吐き出した次の一節である。
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「さて私は、諸君が私に非常なる特典を与えられ、忍耐して私の言うところに耳傾けられたことを感謝する。実は私の仕事は非常に困難な仕事であった。そはどの大臣に振り当てられたにしても、誠に不愉快なる仕事であったのである。しかしその中にただ一つだけ私は無上の満足を感ずることがある。そはこれらの新たなる課税がなんのために企てられたかということを考えてみるとわかる。けだし新たに徴収さるべき金は、まず第一に、わが国の海岸を何人《なんぴと》にも侵さしめざるようこれを保証することのために費やさるべきものである。それと同時にこれらの金はまた、この国内における不当なる困窮をば、ただに救済するのみならず、さらにこれを予防せんがために徴収さるるものである。思うにわが国を守るがため必要なる用意をば、常に怠りなくしておくということは、無論たいせつなことである。しかしながら、わが国をしていやが上にもよき国にしてすべての人に向かってまたすべての人によって守護するだけの値うちある国たらしむることは、確かに同じように緊要なことである。しかしてこのたびの費用はこれら二つの目的に使うためのもので、ただその事のためにのみこのたびの政府の計画は是認せらるるわけである。」
[#ここで字下げ終わり]
長い長い演説がこれでしまいになったかと思うと、彼は一段と声を励まし、――私は今、速記録を見ているので、ここで彼が声を高くしたかどうか実は確かでないけれども、ことばの勢いを見てかりにこう言っておく――さらに続いて言うよう。
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「人あるいは余を非難して、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求した大蔵大臣はかつてその例がないと言う。しかしながら、ミスター・エモット(当時全院委員長の椅子《いす》を占めていた人)、これはこれ一の戦争予算である。貧乏というものに対して許しおくべからざる戦《たたかい》を起こすに必要な資金を調達せんがための予算である。余はわれわれが生きているうちに、わが社会が一大進歩を遂げて貧乏と不幸及び必ずこれに伴うて生ずるところの人間の堕落というものが、かつて森に住んでいた狼《おおかみ》のごとく全くこの国の人民から追い去られてしまうというがごとき、よろこばしき時節を迎うるに至らんことを望みかつ信ぜざらんとするもあたわざる者である。」
[#ここで字下げ終わり]
有名なる大演説はこれで終わった。しかし彼ロイド・ジョージの仕事は決してこれで終わったわけではない。
俊傑ロイド・ジョージは恐るべき大英国の敵を国の内外に見たのである。すなわち彼は、英国の海岸を外より脅かさんとせるドイツの恐るべきを知ると同時に、国家の臓腑《ぞうふ》を内より腐蝕《ふしょく》せんとする貧困のさらに恐るべき大敵たることを発見したものである。されば彼は軍艦を造ると同時に、あらゆる方面において社会政策の実行を怠らなかった。その社会政策の実行が、彼のことばを借りて言えば、許しおくべからざる貧困に対する一の大戦争であるのである。それゆえ彼は、一九〇九年、平和の時代にかくのごとき重税を課することを要求した大蔵大臣はかつてその例がないという非難を冒すことをあえてして、諸種の増税計画をなし、その編成せし予算案をば自ら名づけて戦争予算であるといっているのである。
あに計らんや、その戦争がようやく緒につくとまもなく、ドイツとの大戦争は始まったのである。かくて英人は、彼らの祖国をして「すべての人に向かってまたすべての人によって守護するだけの値うちある国たらしむる」の事業はしばらく全くこれを放棄して、まずすべての人によってこれを守護するの必要に迫られたのである。そうしてまたそれと同時に、一九〇五年自由党内閣成立するや入りて商務大臣となり、いくばくもなくして大蔵大臣に転じ、爾来《じらい》数年の間、いわゆる戦争予算を編成して常に貧困と戦い、平和の時代に彼のごとき重税の賦課を要求したる大蔵大臣はかつてその例を見ずといわれたロイド・ジョージは、ドイツとの開戦以後は、戦時においてもまたいまだその例を見たることなき莫大《ばくだい》の歳出を調理するの余儀なきに至ったが、その後軍需品の供給を豊富にすることの当面の大問題となるに及ぶや、転じて新設の軍需大臣となり、今やまた元帥キッチナーの薨《こう》ずるや、職工の親方といわれていた彼は、文官の出身をもってこの大戦に際し陸軍大臣の要職につくに至ったのである。
ロイド・ジョージはとうとう陸軍大臣になった。しかし彼にとっては、ドイツとの戦争以上の大戦争があるはずである。たといドイツを屈服させ終わるとも、彼は戦後において、その戦前より企てし貧困に対する大戦争をば、さらにいっそうの勇気をもって続けねばなるまい。戦時においても平時においても彼は永久に軍務大臣たるべき人である。[#地から1字上げ](大正五年七月十四日)
二の一
ロイド・ジョージはとうとう総理大臣になった。
私は彼が陸軍大臣となった時、――弁護士の出身をもって、未曾有《みぞう》の大戦に当たり、この要職に任ぜられた時、――彼についてすでに一文を草したが、今総理大臣となると聞くに及び、重ねてこの一文をしるすことを禁じ得ぬ。
現代世界の政治家中ロイド・ジョージは私の最も好きな政治家である。けだし彼は弱者の味方である。ことに彼は、不幸なる弱者が無慈悲なる強者のために無道の圧制に苦しむを見る時は、憤然としておのれが面《おもて》に唾《つばき》せられたるがごとくに嚇怒《かくど》する。しかしてこの強者をおさえかの弱者をたすくるがためには、彼はほとんどおのれが身命の危うきを顧みざる人である。古《いにしえ》は曾子《そうし》のいわく「以《もっ》て六尺の孤を託す可《べ》し、以て百里の命を寄す可し、大節に臨んで奪う可からず、君子人か君子人|也《なり》」と。私が少年のころより愛唱しきたったこの一句は、今や計らずも人格化せられて大英国の大宰相ロイド・ジョージとなっている。
× × ×
ロイド・ジョージは偉い。しかし彼を育てたリチャード・ロイドもまた偉い。もしリチャード・ロイドなかりせば、おそらく今日のロイド・ジョージもいなかったであろう。
大英国の大宰相ロイド・ジョージは、ウェールズなる一村落の小学校長のむすこである。四歳にして父をうしない、赤貧洗うがごとし。この時に当たり一人の寡婦と二人の孤《みなしご》を一手に引き受け、直ちに彼ら一家の急を救ってくれた人は、すなわちロイド・ジョージの母の弟なるリチャード・ロイドその人である。
リチャード・ロイドも決して家に余財ある人ではなかった。彼はラニスタムドゥウィという村の靴屋《くつや》であった。しかも、このあわれなる靴屋は、自分の姉及びその連れ子を自分の家に引き取り、やせ腕一本でもってその姉を養い、また三人の甥《おい》と姪《めい》(ロイド・ジョージの父がなくなった時、母は妊娠中であった)とを育て上げ、彼自らはついに独身生活を貫いた。私は今日のロイド・ジョージはもって六尺の孤を託すべき底《てい》の人物であると言ったが、彼を育てた叔父《おじ》のリチャード・ロイドその人がまた、実にもって六尺の孤を託すべき底の人物であった。
ロイド・ジョージ自らその叔父《おじ》の事を語っていう。
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My uncle never married. He set himself the task of educating the children of his sister as a sacred and supreme duty. To that duty he gave his time, his energy, and all his money.
(私の叔父は一生結婚しなかった。彼は、彼の姉の子供を教育すという仕事をば、神聖かつ最高の義務として、これに一身をささげた。その義務に向かって、彼は彼の時と、彼の精力と、またすべての彼の金をささげた。)
[#ここで字下げ終わり]
げにロイド・ジョージにその家を与え、その衣食を給したる者は、彼の叔父であった。彼に聖書を読ましめ、天を畏《おそ》れ人を愛すべきことを教えたる者も、また彼の叔父であった。彼の叔父は、彼が小学校に通学するころには、日々その下読みと復習を手伝い、のち彼が弁護士を志して法律学の独習を始むるや、彼の叔父は、多少なりとも指導助力に役立たばやと思う一念より、寄る年波をも顧みず、おのれもまた始めて法律学の研究に志し、同じ燈火の下にその甥とともに苦学したものである。ロイド・ジョージは自らこう言うている。「貧乏な叔父と私とは長時間卓をともにして、時代遅れのフランス語の辞典や文典をやたらにひっくり返しながら、わずかに一語をつづり一文を属するを常とした。これがわれわれ両人の苦学法であった。」かくて螢雪《けいせつ》の功むなしからず、彼がわずかに二十一歳の青年をもって弁護士試験に及第するや、彼の叔父が骨身惜しまずかせぎためておいた数百ポンドの資金《かね》は、この時までに彼の学費のためすべて消費し尽くされ、現に彼はせっかく弁護士試験に及第しながら、法服新調の費用にさえ当惑したほどのありさまであった。まことにロイド・ジョージ自らの言えるがごとく、彼の叔父は、彼を教育するがために、彼の時と彼の精力と彼の金をばすべて費やし尽くしたのであった。
ロイド・ジョージ自らその少年時代の生活を顧みていう。
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We scarcely ate fresh meat, and I remember that our greatest luxury was half an egg for each child on Sunday morning.
(われわれはほとんど生《なま》の肉を食べたことはない。そうして私はよく覚えているが、われわれの最大のぜいたくは、日曜日の朝、皆が鶏卵《たまご》を半分ずつもらうという事であった。)
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