navisches Archiv fu:r Physiologie. XXXI. Band 1, 2 u. 3. Heft, Leipzig.〕
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右の表によりて見る時は、われわれの所要熱量は労働中と休業中とによりて大差あり、また労働の種類によりて大差あることが、きわめて明瞭《めいりょう》である。しかして私がここに特に読者の注意を請わんとするは、労働中と休業中とにおける所要熱量の差異であるが、右の表によれば、木挽《こびき》業者のごときは、その労働中の所要熱量は休業中のほとんど五倍ないし六倍に達するのである。さればこれら労働者の摂取すべき熱量を定むるに当たりては、常にその労働時間の多少を考慮に入るるの必要あるものにて、現に前表における木挽《こびき》のごとき、一日八時間の労働ならば、その消費総熱量は約五千カロリーなれども、もし労働時間を延長してかりに十二時間となさんか、約七千カロリーを要する計算となるのである。
労働時間の長短が所要熱量の多少に影響することかくのごとし。しかしてこの点より言えば、日本の労働者は西洋の労働者に比して、からだこそ小さけれ、はるかに多くの労働時間に服しつつあるがゆえに、その所要食料は西洋人に比しはなはだしき差異はなかるべきかと思う。
さて話がつい横道にそれたが、すでに一人前の生活に必要な食物の分量が決まったならば、次にはそれだけの食物を得るのにいかほどの費用がいるかを見なければならぬ。詳しく言えば、所定の熱量を有する食物を得るのに、できうるだけじょうずに、すなわちなるべく安くてしかもなるべく滋養価の多いものを買うことにすれば、一定の物価の下で、およそいかほどの費用がかかるかを調べるのである。そうすれば、一人の人間の生活に必要な食料の最低費用が計算できるはずである。
かくのごとくにして、食費のほか、さらに被服費、住居費、燃料費及びその他の雑費を算出し、それをもって一人前の生活必要費の最下限となし、これを根拠として貧乏線という一の線を描く。しかしてこの線こそ、実際の調査に当たり、私が先にいうところの第三の意味における貧富の標準となるもので、すなわちわれわれは、この一線によって世間の人々を二類に分かち、かくてこの線以下に下れる者、言い換うればこの生活必要費の最下限に達するまでの所得をさえ有しおらざる者は、これを目《もく》して貧乏人となし、これに反しこの線以上に位しそれ以上の所得を有しいる者は、これを貧乏人にあらざる者と見なすのである。[#地から1字上げ](九月一四日)
一の四
私はすでに貧乏線の何ものたるやを説明し、従うてまた第三の意味における貧乏人の何ものたるやも一応は説明したわけである。しかしまだその話を続けなければならぬというのは、貧乏線以上にある者とそれ以下にある者とのほかに、あたかもその線の真上に乗っている者があるからである。ここにあたかも貧乏線の真上に乗っている者というのは、その収入がまさに前回に述べたる生活必要費の最下限に相当しつつある者の謂《いい》である。従うてこれらの輩は、その収入の全部をばあげて肉体の健康を維持するの用途にのみあつるならば、かろうじて栄養不足に陥ることを免るれども、もしこれと異なり、少しにてもその収入をば肉体の健康を維持するの目的以外に費やすならば、それだけ食費その他の必要費に不足を生じ、その健康をそこのうことになるのである。言うまでもなく、肉体の健康を維持する費用のみがわれわれの生活に必要な費用の全部ではない。たとえば衣服にしても、職業の種類によっては、単に寒暑を防ぎ健康に害なきだけのもので満足しておるわけにはゆかぬ。また子供がおれば学校にも出さなければならぬ。親の情としてただに子供の肉体を丈夫に育てるのみならず、その精神霊魂をも健全に育てる苦心をしなければならぬ。しかしまさに貧乏線上にある人々は、すべてかくのごとき用途にあつべき余裕をもたぬ者であるから、たといいかに有益または必要なる事がらなりとも、もし肉体の健康維持という目的以外に何らかの支出をするならば、これらの人々はそれだけ肉体の健康を犠牲にしなければならぬのである。煙草《たばこ》を用い酒を飲みなどすれば無論のこと、新聞紙を購読しても、郵便一つ出しても、そのたびごとに肉体の健康を犠牲にしなければならぬのである。
まさに貧乏線上に乗りおる人々の生活はかくのごときものである。それゆえわれわれは、ただに貧乏線以下にいる人々をもって貧乏人に編入するのみならず、あたかもその線の真上に乗りおる人々をもやはり貧乏人として計上するのである。ここにおいてか、いうところの貧乏人はおのずから分かれて二種類となる。すなわちかりに名づけて第一級の貧乏人というは、前回に述べたるごとく、貧乏線以下に落ちおる人々のことにして、また第二級の貧乏人というは、以上述べきたりしがごとく、まさに貧乏線の真上に乗っている人々のことである。しかしてこれら第一級及び第二級の貧乏人こそ、以下この物語の主題とするところの貧乏人である。
これによって見れば、私がこの物語でいうところの貧乏人なる者の標準は、その程度が実にはなはだしく低いものなのである。私は、次回から西洋における貧乏人のきわめて多数に上りつつある事を述べようと思うが、私はあらかじめ読者に向かって、その時私の列挙するところの数字はいずれもほぼ以上の標準によるものなることを忘れられぬよう希望しておく。ことわざに、すべて物事を力強く他人の頭に打ち込むためにはこれを誇張するよりもむしろ控えめに言えということがあるが、私は何もそんな意味の政略からわざと話を控えめにするのではない。ただ叙述を正確にするために、従来人々の採用した標準をば、ただそのまま襲踏しようとするに過ぎぬ。
さて私は以上をもって貧乏なる語に種々の意味あることを明らかにし、ようやくこの物語の序言を終うるを得た。今振り返ってこれを要約するならば、貧乏なる語にはだいたい三種の意味がある。すなわち第一の意味における貧乏なるものは、ただ金持ちに対していう貧乏であって、その要素は「|経済上の不平等《エコノミック・インイクオリテー》」である。第二の意味における貧乏なるものは、救恤《きゅうじゅつ》を受くという意味の貧乏であって、その要素は「|経済上の依頼《エコノミック・デペンデンス》」にある。しかして最後に述べたる意味の貧乏なるものは、生活の必要物を享受しおらずという意味の貧乏であって、その要素は「|経済上の不足《エコノミック・インサフィセンシイ》」にある。
すでに述べしごとく、この物語の主題とするところは、もっぱら第三の意味における貧乏であるけれども、なお時としては、おのずから第一ないし第二の意味の貧乏に言及することもありうる。しかしその時には必ず混雑を避くるために、私は常に相当の注意を施すことを忘れぬであろう。[#地から1字上げ](九月十五日)
二の一
私のいうところの貧乏人の意味は、前数回において私のすでに説明したところである。しからばその標準にもとづき、今日の文明諸国において、かくのごとき貧乏人ははたしてどれだけいるかというに、そは実に驚くべき多数に上りつつある。
試みに世界最富国の一たる英国の状態についてその一斑を述べんに、一八九九年富裕なる商人の篤志家ローンツリーなる人がヨーク市(当時人口七万五千八百十二人)にて綿密なる調査をなせし結果によれば、当時第一級の貧乏人に属する者総数七千二百三十人、いずれも皆労働者階級のものなるが、これをば労働者総数に比較せばその一割四分四厘六毛に当たり、人口総数に比較せばその九分九厘一毛を占む。また第一級及び第二級の貧乏人を合計せばその総数二万三百二人、これまたいずれも労働者階級の者にして、その割合は実に労働者総数の四割三分四厘、人口総数の二割七分八厘四毛であったという。これは特に経済界の好景気なりし一八九九年の調査なれども、その結果は実にかくのごときものであった。すなわち貧乏線以上に抜け出ることあたわず、肉体の健康を維持するだけの所得さえ十二分に得《う》ることあたわざる者が、全市人口のほとんど三割に近づきつつあることがわかったのである*。
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* B. Seebohm Rowntree, Poverty : A Study of Town Life.
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なおこれより先リバープールの商人にして船主なりしチャーレス・ブースなる人(氏は近ごろ永眠せり)は、少なからざる年月と私財の大半とをさいて、ロンドン全市にわたる大規模の貧民調査をしたことがある。そうしてその結果は『ロンドンにおける人々の生活及び労働』という大冊十巻の著書となって公にされ、その第一編は「貧乏」と題してあって、これは二巻から成り立ち、初めて一八九一年に出版されたものであるが、それで見ると、ロンドンにおける貧乏人の割合(百分比)は総体の人口の内で
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最下層民 (The lowest class) 〇・九%[#「%」は底本では「・」の右横に付く]
細民 (The very poor) 七・五
貧民 (The poor) 二二・三
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となっておる、すなわちこれを合計すると全体の人口のうち三割零七厘だけのものは貧乏人だということになっておる*。もっともこのブース氏の調査は、先に貧乏線の何ものたるやを説明せし時述べたるがごときさまで正確なる標準によったものではないが、ともかくこの調査が発表された時には、それはロンドン市だけのことで、他の都会になるとよほど事情が違うだろうという説がもっぱら行なわれていたのである。ところがローンツリー氏がさらに物静かないなか町のヨークで調査を遂げてみたところが、前に述べたごとく、ロンドンにおける調査の結果とほとんど同じ事実が出て来たのである。
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* Charles Booth, Life and Labour of the People in London. First series : Poverty. 1902 (1st ed. 1891) vol. 2, pp. 20, 21.
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同じような事が続くのでおもしろくないが、話を正確にするために今一つ最近に行なわれた調査のことを簡単に述べておくが、これは一九一二年の秋から翌一九一三年の秋にかけて行なわれた調査で、その結果は統計学者のボウレイという人とバーネット・ハーストという人との共著になって昨年(一九一五年)公にされたものである。これは先に述べたローンツリー氏のそれのごとく調査の範囲を一都市に限らずして、なるべく事情を異にせる都市をば四個所だけ選び、それについて調査を行なったのであるが、場所によるとローンツリー氏の調査の結果よりもいっそうひどい成績が出た所もあるのである。すなわちローンツリー氏の調査の時は、第一級の貧乏人に属する者は全市人口の一割弱であったのが、今度の調査によると、レディング(スコットランドの中央東部に位する人口約八万七千の都市)では全市人口の五分の一(すなわち二割)、ウォリントン(イングランドの北西でウェールズに近き所の海岸に位する人口約七万二千の都市)では全市人口の八分の一が第一級の貧乏人であって、これらはいずれもヨーク市よりひどいのである。しかしノルザンプトン(イングランドの中部でロンドンの北西に位する人口約九万の都市)ではその割合十二分の一、スタンレー(ロンドンの西に位せる人口約二万三千の小都市)では十七分の一に過ぎなかったので、これらはヨーク市よりも良好の状態にあるわけである*。
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* Bowley and Burnett−Hurst, Livelihood and Poverty, 1915. pp. 34−−38.
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