あるということは、今日何人も疑わぬところである。ところがここに最も興味あることは、この「曙の人」になると、たしかに道具を造っていたと言い得らるるという事である。現に先に述べた頭蓋骨《ずがいこつ》の出たその地層からただ一つだけ燧石《プリント》が発見されたが、おもしろいことには、その石器は自然のままの物ではなくて、確かに造られたものである。しかし細工は片面に施してあるだけで、製造された石器の中では最も幼稚なものだということである。(オスボーン前掲書一三五ページ)。
 さてだいぶ余談にわたったようだが、私がここに五十万年前ないし三十万年前の猿《さる》とも人ともわかりかねるような人間の話をして来たのは、諸君に次の事実を承認してもらうためである。それは今日いうところの人間なるものと、道具を造るということとは、きわめて密接な関係をもっているということである。前に述べたごとく、五十万年前の猿の人と称せらるる者は、はたして道具を造っていたかどうか、それには確かな証拠はないのである。ところがそれよりもはるかに今日の人間に近い三十万年ないし十万年前の曙の人と称せらるる者になると、これは確かに道具を造ってい
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