乏人の子は国家がこれを引き取り、親に代わって養って行くことにしたという事は、私が前回に述べたところであるが、由来個人主義の本場として、自由放任を宗旨となし、国家は個人の私事にできうるだけ立ち入らぬことを国風としている英国において、今かくのごとき法律の発布を見るに至りたる事は、一葉落ちて天下の秋を知るとやいわん、実に驚くべき時勢の変である。
 日本では、大阪《おおさか》なり神戸《こうべ》なりからちょっと四国へ渡るにも、船に乗れば、私たちは必ず船員から姓名、住所、年齢等をきかれる。もし旅から旅へ流浪《るろう》したならば、一泊するごとに、至る所の宿帳へ、やはり同じような事を一々記録して行かねばならぬ。かかる干渉主義の国がらに育った私は、往年初めてロンドンに入った時、ホテルに泊まろうが、下宿屋に住もうが、どこへ行ったとて、姓名も国籍も何一つかつて届けいずる必要なきを見て、いささか意外の感をいだいた者である。平時の英国は、書生が来ようが商人がはいろうが、美人でも醜婦でも、学者でも泥棒でも、出入全く自在でさながら風の去来し雲の徂徠《そらい》するに任せあるがごとくである。ロンドンにしばらく住まったの
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