ころ近県のある小学校に行った時、学校から児童に渡されたところの「一日一善」と題する日記帳をもらったが、帰ってからそれを調べてみると、その日記帳の日々の余白へ格言ようのものが印刷してある。その一に
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身のほどをしりからげしてかせぎなば
貧乏神のつくひまもなし
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という歌があった。また近ごろ『町人身体柱立《ちょうにんしんだいはしらだて》』(今より約百五十年前明和七年の開版)という本を見ると、(『通俗経済文庫』第一巻に収む)、その中にも同じような意味の歌がある。すなわち
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身をつとめ精出す人は福の神
いのらずとても守りたまわん
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というのであるが、これらの教訓歌は昔の自足経済時代ならばともかく、少なくとも今日の西洋には通用せぬものである。世間にはいまだに一種の誤解があって「働かないと貧乏するぞという制度にしておかぬと、人間はなまけてしかたのない者である、それゆえ貧乏は人間をして働かしむるために必要だ」というような議論もあるが、少なくとも今日の西洋における貧乏なるものは、決してそういう性質の
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