コいたく品を需要しているからである。もしさし当たって事の表面を見るならば、商人がいろいろな奢侈ぜいたく品を作り出してこれを販売すればこそ買う人もあるというように考えられるけれども、それは本末転倒の見方なので、実は、そういう奢侈ぜいたく品をこしらえて売り出す人があるから買う人があるのではなく、そういう物をこしらえて売り出すと買う人があるから、それで商売人の方ではそういう品物を引き続きこしらえて売り出すのである。もちろん売ると買うとこの両者の間には互いに因果関係があるのであるから、生産者の責任のこともいずれのちに説くつもりであるが、しかしいずれが根本的かといえば、生産が元ではなくてむしろ需要が元である。もしだれも買い手がなかったならば、商人は売れもせぬ物を引き続きこしらえていたずらに損をするものではない。いくらでも売れるから、次第に勢いに乗じて、さまざまの奢侈ぜいたく品を作り出すのである。そこで田舎《いなか》にいて米を作るべき人も、都会に出て錦《にしき》を織るの人となる。農事の改良に費やさるべき資金も、地方を見捨てて都会にいで、待合の建築費などになる。かくて労力も資本も、その大半は奢侈ぜい
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