人々の需要する奢侈《しゃし》ぜいたく品がうずたかく生産されつつある。これをば単に金持ちの利己心の立場からのみ見たならば、誠に勝手のよい巧妙なしくみだといえるであろうが、もし社会全体の利益を標準として考うるならば、はたしてこれをこのままに放任しておいてよいものかという疑問が起こるのである。
しかし不思議にもわが経済学は、現代経済組織の都合よき一面をのみ観察することによりてこれを謳歌《おうか》し、その組織の下における利己心の活動をば最も自由に放置することが、やがて社会公共の利益を増進するゆえんの最善の手段であるという主張をもって、創始せられたものである。
思うに個人の私益と社会の公益とが常に調和一致するものなりちょう正統経済学派の思想の泉源は、遠くこれを第十八世紀の初頭に発せしもののごとくである。回顧すれば今より二百十余年前、一七〇五年、もとオランダの医者にして後英国に移住せしマンダヴィルという者は、自作の英詩に『不平を鳴らす蜂《はち》の群れ』という題をつけ、これを定価わずかに六ペンスの小冊子に印刷して公にした事がある。そうしてこの詩編は、それより八年後の一七一四年に、著者自らこれに注
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