ればいかなる金持ちでも、その胃袋の大いさが貧乏人とたいした違いなく、足もやはり貧乏人と同じように二本しかないならば、その者が自分で消費するために金を出して買うところの米とか下駄《げた》とかいうものには、おおよそ一定の限度があるべきはずである。そこでこれら金持ちの人々の需要の大部分はおのずから奢侈品《しゃしひん》に向くことになるのである。米を買ったり下駄を買ったりしただけでは、まだたくさんの金が残るからして、その有り余る金をばことごとく奢侈品に向けて来る。そこで奢侈品に対するきわめて有力なる需要が起こると同時に、生活必要品に対する貧乏人の需要のごときはこれがため全く圧倒されてしまうのである。しかるに今日の経済組織の下においては天下の生産者はただ需要ある物のみを生産し、たといいかに痛切なる要求ある物といえども、その要求にして資力を伴わざる限り、捨ててこれを顧みざるを原則としつつある。これ今の時代において、無用有害なる奢侈ぜいたく品のうずたかく生産されつつあるにかかわらず、多数人の生活必要品のはなはだしく欠乏を告げつつあるゆえんである。
たとえば、貧乏人がわずかばかりの金を持ち出して来て、
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