ニきに至る。あにただに世間無知の輩とのみ言わんや。時としては一代の豪傑も金のためには買収され、一時の名士も往々にして金のためには節を売り、かくのごとくにしてついには上下こぞって、極端なる個人主義、利己主義、唯物主義、拝金主義にはしるに至る。
思うに這個《しゃこ》の消息は、私がここに今さららしく書きつづるまでもなく、早くより警眼《けいがん》なる社会観察者の看取し得たるところである。今しばらくこれをわが国の古書について述べんか、たとえば、かの『金銀万能丸《きんぎんまんのうがん》』のごときは(後に『人鏡論』と改題され、さらに『金持重宝記《かねもちちょうほうき》』と改題さる、今は収めて『通俗経済文庫』にあり)、今をさる約二百三十年前、貞享《じょうきょう》四年に出版されたものだが、それを見ると、僧侶《そうりょ》と儒者と神道家とが三人寄り合ってしきりに世の澆季《ぎょうき》を嘆いている。それをば道無斎《どうむさい》という男が、そばから盛んに拝金宗を説きたててひやかすという趣向で、全編ができているが、その道無斎がなかなかうがったことを言っている。
まず四人同道で伊勢《いせ》参宮《さんぐう》のために京都を出る時に、道すがら三人の者がそれぞれ詩や歌を詠《よ》むと、道無斎がそれを聞いて、滔々《とうとう》として次のごとき説法を始めるのである。
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「おのおののやまと歌、から歌、さらに道理にかない候《そうら》わず、ただおもしろくもありがたくも聞こえはべるは、黄金にてぞはべる。ひえの紅葉《もみじ》も長柄《ながら》の錦《にしき》も横川《よかわ》の月を見やりたまいしも、金がなくてはさらにおかしくもおもしろくもあるまじ、ただ世の中は黄金にこそ天地もそなわり、万物みなみなこれがなすところにして、人間最第一の急務にてはべるなり。さればにや仏も種々なる口をききたまいし中にも、ややともしては金銀《こんごん》瑠璃《るり》とのべられて、七宝の第一に説かれしなり。十万の浄土も荘厳《しょうごん》なにぞと尋ぬれば、みなみな黄金ずくめなり、孔子も老子も道をかたりひろめし中には、今日の禄《ろく》を第一に述べられしなり。」……
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道無斎は勢いに乗ってさらに次のごとき物語をする。
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「このちかきころにさる大福長者とおぼしき人を打ちつれて、黒谷《くろだに》もうでしはべりけるに、上人《しょうにん》出合い、この道無をば見もやらで、かの金持ちの男をあながちにもてなし、……さてさておぼしめし寄りての御参詣かな、仏法の内いかようの大事にても御尋ね候え、宗門のうちにての事をば残さず申しさずけんとて、まことに焼け鼠《ねずみ》につける狐《きつね》のごとくおどり上がりはしりつつ色をかえ品をかえて馳走《ちそう》なり。この道無かねて金の浮世と存ずれば、すこしも騒がず、ちと用あるていにもてなし門前にいで、小石を銀ならば二まいめほどに包んで懐中し、元の座敷に居なおりつつ上人に打ちむかい、ふところより取り出しさし寄り申しけるは、近きころ秘蔵の孫を一人失い申しけるまことに老いの身の跡にのこり、若木の花のちるを見て、やるかたなき心ざしおぼしめしやらせたまえ、せめて追善のために細心《ほそこころ》ざしさし上げ申すなりとて、一包さし出しはべれば、上人にわかに色をなし、さてさて道無殿は物にかまわぬ一筋なる御人にて、御念仏をも人の聞かぬように御申しある人なりと、常々京都の取り沙汰《ざた》にてはべるよし、一定《いちじょう》誠に思いいらせたまえる後世者《ごせしゃ》にてわたらせおわしますよな、またかようの御人は都広しと申すとも有るまじきなり。やれやれ小僧ども、あの道無殿の御供の人によく酒すすめよ、さてまた道無殿へ一宗の大事にてはべれども、かようの信心者に伝えねば、開山の御心にもそむく事にて候えばとて、念仏安心を即座に伝え申されぬ。この時道無おもいしは、さて金の威光功徳の深さよ、たちまち石を金に似せけるだに、かように人の心のかわりはべる事よと、いよいよありがたく覚えはべる。金もてゆく時は極楽世界も遠からず、貧しき者はたとえば過《あやま》りて極楽に行くとても、元来かねずきの極楽なれば、諸傍輩《しょほうばい》の出合《いであい》あしくなりて追い出されぬべし。これをもて見るに、とかく仏道の大事も金の業《わざ》にてなる。」
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怪しむをやめよ、当世の人のしきりに利欲にはしることを。二百三十年前すでにこの言をなせし者がある。[#地から1字上げ](十二月十一日)
十一の四
わが国でもすでに二百三十年前に『金銀万能丸』が出ている。思うに社会組織そのものがすでに利己心是認の原則を採り、だれでもうっかり他人の利益を図っていると、「自分自身または
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