氓フ数言にまとめることができる。
経済上社会の生産力すなわち富を作り出す力が増加して来ると、それに連れて社会の生産関係または経済組織が変動して来る。しかるにこの経済組織なるものは社会組織のいちばん根本となっているものであるから、この土台が動いてくると、その上に建てられていたもろもろの建築物が皆動いて来なければならぬのであって、すなわち社会の法律も政治も宗教も哲学も芸術も道徳も皆変動して来る。さらに簡単にいえば、経済組織がまず変わってしかるのちに人の思想精神が変わるので、まず人の思想精神が変わってしかるのちに社会の組織が変わって来るというわけのものではない。これがマルクスの意見のだいたいである。
[#「『資本論』著者カール・マルクス」のキャプション付きの肖像画(fig18353_09.png)入る]
今私はマルクスの議論をたどってそれを一々批評して行くというようなめんどうな仕事をばここでしようとは思わぬ。しかし幸いにも彼の経済的社会観に似た思想は、古くから東洋にもあるので、すでにわれわれの耳に熟している古人の句を借りて来れば、私はそれで一通り自分の話を進めて行くことができる。
その句というは、論語にある孔子の言である。すなわち子貢が政《まつりごと》を問いし時、孔子はこれに答えて
[#ここから1字下げ]
「足[#(シ)][#レ]食[#(ヲ)]、足[#(シ)][#レ]兵[#(ヲ)]、使[#(ム)][#二]民[#(ヲシテ)]信[#(ゼ)][#一レ]之[#(ヲ)]矣。〈食を足し、兵を足し、民をして之《これ》を信ぜしむ〉(顔淵第十二)
[#ここで字下げ終わり]
と言っておられる。しかしてわが国の熊沢蕃山《くまざわばんざん》はさらにこれを注訳して次のごとく述べている。
[#ここから1字下げ]
「食足らざるときは、士|貪《むさぼ》り民は盗《とう》す、争訟やまず、刑罰たえず、上《かみ》奢《おご》り下《しも》諛《へつろ》うて風俗いやし、盗をするも彼が罪にあらず、これを罰するは、たとえば雪中に庭をはらい、粟《あわ》をまきて、あつまる鳥をあみするがごとし。……これ乱逆の端なり、戦陣をまたずして国やぶるべし。兵を足すにいとまあらず。いわんや信の道をや。」(集義和書、巻十三、義論八)
[#ここで字下げ終わり]
これらの文章を読む時は、われわれはすでに幕府時代においてロイド・ジョージの演説を聞くの感がある。
孟子《もうし》またいわく
[#ここから1字下げ]
「恒産なくして恒心あるは、惟《ただ》士のみ能《よ》くするを為《な》す。民の若《ごと》きは則《すなわ》ち恒産なくんば因って恒心なし。苟《いやし》くも恒心なくんば、放辟《ほうへき》邪侈《じゃし》、為《な》さざるところなし。已《すで》に罪に陥るに及んで然《しか》る後《のち》従って之《これ》を刑す、これ民を罔《あみ》する也《なり》。是《こ》の故《ゆえ》に明君は民の産を制し、必ず仰いでは以《もっ》て父母に事《つこ》うまつるに足り、俯《ふ》してはもって妻子を畜《やしな》うに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしめ、然《しか》る後|駆《か》って善に之《ゆ》かしむ。ゆえに民の之《これ》に従うや軽し。今や民の産を制して、仰いでは以て父母に事うまつるに足らず、俯しては以て妻子を畜うに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず、これ惟《ただ》死を救うて贍《た》らざらんを恐る。奚《いずく》んぞ礼義を治むるに暇《いとま》あらんや。」(梁恵王《りょうのけいおう》章句上)
[#ここで字下げ終わり]
ここに恒産なくんば因って恒心なしとあるは、これを言い換うれば、経済を改善しなければ道徳は進まぬということなので、そうしてこれがいわゆる経済的社会観の根本精神の一適用なのである。[#地から1字上げ](十二月十日)
十一の三
私は上編において今日多数の人々が貧乏線以下に沈淪《ちんりん》していることを述べたが、これらの人々は孟子《もうし》のいわゆる恒産なきのはなはだしきものである。しかるに民のごときは恒産なくんば因って恒心なく、すでに恒心なくんば放辟《ほうへき》邪侈《じゃし》なさざるところなし。いずくんぞ彼らをしておのおのその明徳を明らかにし、相親しみて至善に止《とど》まらしむることを得ん。これ経済問題が最も末の問題にしてしかも最初の問題たるゆえんである。
試みにこれを現代経済組織の人心に及ぼす影響について述べんに、すでに説きしがごとく、金さえあれば便利しごくな代わりに、金がなければ不便この上なしというが、今の世のしくみである。すでに世のしくみがそうである。そこで世間無知の輩《ともがら》は、早くもいっさい万事これ金なりと心得、義理も人情も打ち捨てて互いに金をつかみ合うさま、飢えたる獣の腐肉を争うがご
前へ
次へ
全59ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
河上 肇 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング