ヘ巨額の資金の提供を申しいでた者もあった。そこでレーンも大いにこれに感激し、「同志の人々が、その多年の辛苦によりようやくもうけ得た金をば、かくのごとくなんらの不安なく疑惑なく自分に委託して来るのを見ると、私は涙を流さずにはいられない。これほどの信頼にそむくほどなら、私はむしろ死ぬるであろう」と言って、自分も約壱万円の財産を出資し、全力をささげてその事業に従事することを誓った。[#地から1字上げ](十二月七日)
十の五
レーン氏の企てた理想国の建設は、前回に述べたるがごとき経過をもって着々進行し、ついに壱万弐千円を投じて六百トンの汽船「ローヤル・ター」を買い入れ、まず第一回の移民として二百五十名の男女がレーンとともにこれに搭乗《とうじょう》して南米に出発することになった。
さてその出発の光景、航海中の出来事、ないし目的地到着後の事業の経過等については、学問上興味ある事実も少なくないが、私は今一々それをお話ししておる余暇をもたぬ。ただ私がここにこの話を持ち出したのは、最初天下に実物教育を施すというほどの意気込みをもって始められたこの事業も、ついには失敗に帰したという事実を報道することによりて、組織の必ずしも万能にあらざることを説かんがためである。
私はレーンらの計画した理想国の組織が全然遺憾なきものであったとは決して考えぬ。しかし彼らは現時の経済組織を否認し、かかる組織の下においては到底理想的社会の実現を期すべからずと信ぜしがために、相率いてその母国を見捨て、人煙まれなる南米の一角にその理想郷を建設せんと企てたのであるから、その新社会の組織は、少なくとも彼らの見てもって現時の個人主義的組織の最大欠点となせし点を排除せしものたるや疑いない。しかもそのついに失敗に終わりしところを見れば、組織そのものの必ずしも根本的条件にあらざることを知るに足るかと思う。
ドイツもイギリスもフランスも一国の運命を賭《と》すべき危機に遭遇したればこそ、経済組織の改造も着々行なわれ、しかしてまたその新組織はただこれが長所のみを発揮していまだその短所をあらわすに至らぬけれども、戦争が済んで国民の気分がゆるんで来たならば、金のある者はぜいたくもしたくなるだろうし、一生懸命に国家のために働くという事もばからしくなって、あるいは多少くずれて来るかもしれぬのである。
レーン氏の「いわゆる全体の者の福祉を図ることが各個人の第一の義務であり、また各個人の福祉を図ることが全体の者の唯一の義務である」という主義をば、確《かた》く信じて疑わず、身を処すること一にこの主義のごとくなるを得《う》る人々にとっては,かくのごとき主義をもって計画された社会制度が最上の組織でありうるけれども、利己主義者を組織するに利他主義の社会組織をもってするは、石を包むに薄帛《うすぎぬ》をもってするがごときもので、遠からずして組織そのものが破れて来る。されば戦後の欧州がはたして戦時の組織をそのままに維持しうるや否やは、もちろん一の疑問たるを免れぬ。
しかしながら、人間はよく境遇を造ると同時に、境遇がまた人間を造る。英独仏等交戦諸国の国民は、国運を賭《と》するの境遇に出会いしがゆえに、たちまち平生の心理を改め、よく献身犠牲の精神を発揮するを得た。それゆえ、平生ならば議会も輿論《よろん》も大反対をなすべき経済組織の大変革が、今日はわけもなく着々と実現されて来た。これは境遇によって一変した人間が、さらにその境遇を一変せしめたのである。しかるに境遇はまた人間を支配するがゆえに、もしこの上戦争が長びき、人々が次第に新たなる経済組織に慣らされて来ると、あるいは戦後にも戦時中の組織がそのまま維持せられるかもしれない。否戦後もしばらくの間は、諸国民とも戦時と同じ程度の臥薪嘗胆《がしんしょうたん》を必要とするであろうから、戦時中の組織はおそらく戦争の終結とともに直ちに全くくずれてしまって、すべてがことごとく元のとおりになるという事はあるまい。少なくとも私はそう考える。それゆえ、私はプレンゲ氏とともに一九一四年はおそらく経済史上において将来一大時期を画する年となるであろうと思う。[#地から1字上げ](十二月八日)
十一の一
これを要するに、人と境遇との間には因果の相互的関係がある。すなわち人は境遇を造り、境遇もまた人を造る。しかしながらそのいずれが本《もと》なりやと言えば、境遇は末で人が本である。それゆえ、社会問題の解決についても、私は経済組織の改造という事をば、事の本質上より言えば、根本策中の根本策とはいい得られぬものだというのである。
しかし私はそう言ったからとて社会の制度組織が個人の精神思想の上に及ぼす影響を無視せんとする者ではない。否むしろ私は人並み一倍、経済の
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