条河原《ごじょうがわら》の乞食《こじき》の話は、話ぶりがあまり巧みなので、ついそのまま転載さしてもらう気になったが、もし私の記憶が間違っていなければ、かの大燈国師《だいとうこくし》のごときも同じく五条の橋の下でしばらく乞食《こじき》を相手に修養をしておられたので、その時の作になる
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座禅せば四条五条の橋の上
ゆき来《き》の人を深山木《みやまぎ》と見て
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という歌は有名なものだということであるが、さてここに注意しなければならぬのは、大燈国師のような偉い人ならばこそ、乞食のまねをしていてもよいけれども、われわれごとき凡夫だと、孟子《もうし》のいわゆる民のごときは恒産《こうさん》なくんば因《よ》って恒心《こうしん》なしで、心も魂も堕落こそすれ、とても明徳を明らかにするちょう人生の目的を実現する方向に進めるわけのものではない、ということである。そこで同じ貧乏を論ずるにつけても、自発的の貧乏すなわち自ら選択して進んで取った貧乏と、強制的の貧乏すなわちやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏との区別を充分にしてかからねばならぬ。そうして私のここに論ずるところは、もちろんやむを得ず強制的に受けさせられている貧乏のことである。
叙してここにきたる時、私はハンター氏の『貧乏』の巻首にある次の一節を思い起こさざるを得ない。
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「私は近ごろウィリアム・デーン・ホゥエルスに会うてトルストイを訪問したことを話したら、氏は次のごとく述べられた。『トルストイのした事は実に驚くべきものである。それ以上をなせというは無理である。最も高貴なる祖先を有する一貴族としては、遊んでいて食わしてもらうことを拒絶し、自分の手で働いて行くことに努力し、つい近ごろまでは奴隷の階級に属していた百姓らとできうる限りその艱難《かんなん》辛苦を分かって行こうとした事が、彼のなしあとうべき最大の事業である。しかし彼が百姓らとともにその貧乏を分かつという事は、これは彼にとって到底不可能である。何ゆえというに、貧乏とはただ物の不足をのみ意味するのではない、欠乏の恐怖と憂懼《ゆうく》、それがすなわち貧乏であるが、かかる恐怖はトルストイの到底知るを得ざるところだからである*。』……」
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