釈及び論文等を加え、『蜜蜂《みつばち》物語*』と改題して再版するに及び、はなはだしく世間の攻撃を受け、従ってまた著しく世人の注意をひくに至ったものであるが、これがそもそも英国における利己心是認思想の権輿《けんよ》である。
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* Manderville, Fable of Bees.
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『蜜蜂物語』は一名『個人の罪悪はすなわち公共の利益なり』と題せるによっても明らかなるごとく、各個人がその私益私欲をほしいままにするという事がやがて公共の利益、社会の繁栄を増進するゆえんであると説いたものである。大正のみ代のかたじけなさには、二百十余年前遠き異国でものされたこの物語も、今日は京都大学の図書館にその一本が備え付けられてある。すなわち試みに蜜蜂の詩の末尾に置かれたる「教訓」と題する短詩を見るに、その末句は次のごとくである。
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「さらば悲しむをやめよ、
正直なる蜜蜂の巣をして、
偉大ならしめんとするは、
ただ愚者のなす業《わざ》である。
「大なる罪悪なくして、あるいは
便利安楽なる世の貨物を享受し、
あるいは戦争に勇敢にしてしかも
平時安逸に暮らさんとするは、
ひっきょうただ脳裏の夢想郷である。
×
「かくのごとく罪悪なるものは、
そが正義もて制御せらるる限り、
誠に世に有益なる泉である。
否国民にして大ならんとせば、
罪悪の国家に必要なるは、
人をして飲食せしむるに
飢渇の必要なるがごとくである。」
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私は今この蜜蜂物語の内容をここにくわしく紹介する余白をもたぬけれども、以上の一二句によりて見る時は、個人の私欲はすなわち社会の公益をもたらすものなりちょう思想が、おおよそいかなる調子で説き出されてあるかがわかるであろう。
ともあれ、今より二百十余年前、英国に帰化したオランダの一医者が歌い出したこの一編の悪詩は、奇縁か悪縁か、後に至って正統経済学派の根本思想を産むの種子《しゅし》となったものである。はなはだあわれな出発点だが、わが経済学の素性《すじょう》を洗えば、実はかくのごときものである。
[#地から1字上げ](十一月二十二日)
九の四
一たびマンダヴィルによって創《はじ》められた利己心是認の論は、その後ヒューム、ハチソンその他の倫理
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