十六歳、家居して又た詩稿を刪訂す。自跋に云ふ、これ予が丙戌以前の詩、十の一[#「十の一」に白丸傍点]なり、厳州に在りて再編、又た十の九を去ると。然らば則ち丙戌以前の詩にして存する者は才《わづか》に百の一のみ」。即ち私の見てゐる渭南文集には、丙戌以前詩二十之一としてあるのが、趙翼の引く所では十之一となつてゐる。私は今どちらが正しいかを確め得ない。
(十七)
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岑参の西安幕府に在るの詩に云ふ、那《ナン》[#(ゾ)]知[#(ラン)]故園[#(ノ)]月、也《マタ》到[#(ル)]鉄関[#(ノ)]西と。韋応物作郡の時亦た詩あり云ふ、寧《ナン》[#(ゾ)]知[#(ラン)]故園[#(ノ)]月、今夕在[#(リ)][#二]西楼[#(ニ)][#一]と。語意悉く同じ、而かも豪邁間澹の趣、居然自ら異る。(老学庵筆記、巻三)
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(十八)
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劉長卿の詩に曰く、千峰共[#(ニス)][#二]夕陽[#(ヲ)][#一]と。佳句なり。近時僧癩可これを用ひて云ふ、乱山争[#(フ)][#二]落日[#(ヲ)][#一]と。工《
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