、と。幾先云ふ、只だ是れ君が記得熟す、故に五月を以て勝《まさ》れりと為すも、実は然らず、止《た》だ六月と云ふも亦た豈に佳ならざらんや、と。(老学庵筆記、巻二)
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       (二)

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 杜子美の梅雨の詩に云ふ、南京犀浦道、四月熟[#二]黄梅[#一]、湛湛[#(トシテ)]長江去[#(リ)]、冥冥[#(トシテ)]細雨来[#(ル)]、茅茨疎[#(ニシテ)]易[#レ]湿、雲霧密[#(ニシテ)]難[#レ]開、竟日蛟竜喜、盤渦与[#レ]岸回と。蓋し成都にて賦せる所なり。今の成都は乃ち未だ嘗て梅雨あらず、惟《た》だ秋半積陰、気令蒸溽、呉中梅雨の時と相類するのみ。豈に古今地気同じからざるあるか。(老学庵筆記、巻六)
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       (三)

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 欧陽公の早朝の詩に云ふ、玉勒争門随仗入、牙牌当殿報班斉と。李徳芻言ふ、昔より朝儀未だ嘗て牙牌報班斉と云ふ事あらずと。予之を考ふるに、実に徳芻の説の如し。朝儀に熟する者に問ふも、亦た惘然、以て有るなしと為す。然かも欧陽公必ず誤まらざらん、当《まさ》に更に博《ひろ》
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